2010年11月12日金曜日
安心な場所
夕焼けを見ながら畑から戻る。
いったい自分は、最終的にどこに落ち着くんだろう?そんなふうに考える。
ああ、そういや、ニューヨークでいた時も同じ事考えていたなあ。「私はいったい、どこに落ち着くんだろう?」「私の人生って、なんだろう。どこに向かって進んでいるんだろう?」「行くべき場所ってどこだろう?」
きっとニューヨークの私が、今のこの高尾山のふもとで、畑をしている姿をかいまみでもしたなら、これが「落ち着く場所」と思っただろうな。しかし今その場所にいる私は、ここを最終目的としていない。
それはたぶん、場所ではなく、生き方をさぐっているのだろうな。ではこの生き方はステキではないか。しかし私の心は「これではない」というのだ。
人はつねに安定を求める。安心な仕事、安全な場所、永遠のしあわせ。。。
今ある「ここ」は、つねに安心な場所ではないのだ。だからどこか別の場所。。。と、心がいう。
年老いた母の姿を見ても、彼女のいるところが最終目的地で安住しているようには見えない。彼女もまた、いつかどこかで自分は安心安全な場所。。。と求めているのだ。
という事は、人は永遠に求め続けているだけなのじゃないか?
人間の最終目的地は、「死」なのだ。人間は死という目標に向かって進んでいるのだ。本当は、それが本当の安心な場所なのかもしれない。
だとするなら、人生は、死ぬまでINGのままなのではないだろうか。現在進行形。死ぬまで安定のない、安心ひとつない、自分が描く理想なんて無視される現象が目の前でどんどん展開されて、どんどん進んでいく。今この瞬間もどんどん死に向かって進んでいる。なにひとつ、止まる事がない現在進行形。
安心や安定は止まる事を意味する。
どんどん押し流されていく自分の人生を不安におもい、
「ちょ、ちょ、ちょっとまってよー!ついてけないじゃないのー!」
とあせる。必死で止まろうとする。流されながら、
「ああ、止まりたい。どっか止まれる安心な場所おおおおおお。。。。」
かくして人間は安心な安定した場所を求める。しかしそれは死ぬことなのかもしれない。
おとぎ話は必ずこうしめくくられる。
「そうして二人はいつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ」
これが人が求める最終目的なのだろう。小さい時にこの思想は植え付けられる。
しかし人生の意味とは、この全く一瞬もとどまることのない生を、意識的に生きることなのではないだろうか。
つまり、私たちの最終目的は、逃げずに死ぬまで生きる、ということなんだろうな。
やまんばは、夕日を見ながらそうおもいましたとさ。
絵:オリジナル絵本「やまごえ」
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2 件のコメント:
そうだすなぁ。「私はどこに行くのか?」
人生の命題ですなぁ・・・クォバディスって
そんな意味ではなかったかしらん??
私は??じぇんじぇん決まってましぇん・・。
決めて、そーなるわけでもなし。
また、思ったように事を進められる人は、すごいひとなんでしょうね。
ソーユー人を見ると、「ああ、あたしって、できないやつ。。」とおもってしまうのだ。
でもそれも、いらない感情のような気がする。よけいな感情で心に波を立てる事もないんじゃないかな〜と、最近思うのです。
決まってなくていーんじゃよ。あるとき、ぱっと決まっちゃうもんです。
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