ひょんな縁で、近所のこんぴらさんに行って来た。
高知生まれなので、何度か琴平の金刀比羅宮に連れて行かれた記憶がある。
地元のおじさんに聞いて、正規のルートじゃなく、ナビにも載ってないけもの道みたいな山の急斜面に沿って上がっていく。
「本当につくんだろうか。。。」
「これ、やばくね?」いちいち独り言が出る。
「本当につくんだろうか。。。」
「これ、やばくね?」いちいち独り言が出る。
いやいや。地元の人に聞いた道だ。これで間違いはない。。。か。。?
疑いと信頼が行ったり来たり。
疑いと信頼が行ったり来たり。
尾根道を上ったり下がったりしながら、正規の道を上ってくる方々を見つけほっとする。
ゼーゼーいいながらたどり着くと、そこには山の頂上の小さな空間にひっそりと建った浅川金刀比羅神社。周りを木々に囲まれ、そこに神社があるなんて誰もわからないだろう。
「一度おいでください」
そうおっしゃったのは、不思議な縁でここの神主になられた方。女性の神主さんなんて初めてだあ。
私が描いた『古事記のものがたり』の表紙の絵が縁で、フェイスブックで知り合った。
「毎月第一日曜日はピクニック。毎月10日に月例祭を行います。よかったらお越しください」
今日はそのピクニックの日。
来られる方々が一人一品づつ持ち寄って、そこで楽しい時間を過ごすのだ。私はそのシステムがわからなかったので手ぶらで来た。それでも歓迎してくださる。
氏子でもなければ、日本人でなくてもいい。ただそこに来た人をもてなす心の広さがあった。
私はその後ダンナとの約束があったので失礼したが、高尾駅に向かう尾根道で、自転車で上がってくるおじさま達に出会った。
「神社まであとどのくらいですか?」
「あと十分もないですよ」
「神社まであとどのくらいですか?」
「あと十分もないですよ」
この尾根沿いで狭い、しかも急な坂道を自転車で。。。。ものすごいなあと感心する。
翌日、フェイスブックで昨日のピクニックの様子が載っていた。あの狭い空間にじつにたくさんの人!
神主さんの彼女も、「自粛ムード溢れる中、こんな会を催していいのだろうか、何より人が集まるのだろうかと思ってましたが、いつも以上の大賑わい!」とびっくりされていた。
「コロナ予防は、みんなで、バカになることだ〜!」
そう言って、みんなは幸せの渦の中にいたようだ。
宗教の世界から離れてしばらく経つ。
あれだけ聖地巡り、神社仏閣巡りをしてきた私は今は町内会の御神事に参加するだけ。どこの神社仏閣、聖地にもいかなくなった。それは外に自分の幸せを探しにいかなくなったからだった。
昨日は祝詞をあげていただきながら、お祓いをしていただきながら、温かいものを感じていた。
形ではないのだ。
最近はそう思えるようになってきている。
大事なのは思い。人々が幸せになるようにという思い、それだけでいいのだ。
それがどんな形を取ろうとも。
フェイスブックに写った人々を見ながら、熱いものがこみ上げてくる。なんと幸せそうな人々の顔、顔、顔。
この幸せは、それぞれが自分たちの街に持ち帰って、広がっていくのだろう。
コロナの一件は、人々の恐れがどんなふうに蔓延していくのかを教えてくれている。
しかしその反対に、幸せな心はどんなものも通り過ぎていく強さを持っている。
免疫力とはすなわち、幸せな心そのものではないだろうか。
昨日は大事なものを教えてもらった。
ありがとうございます。
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