ずっとガラケーで通したる!
とおもってたが、出先でラインのやりとりできないし、
ナビもないから待ち合わせのレストラン探しにもいちいちパソコンからコピーした地図を持っていかなきゃなんないし、
ナビもないから待ち合わせのレストラン探しにもいちいちパソコンからコピーした地図を持っていかなきゃなんないし、
まあ、ええか、この際スマホに変えちゃる!と、重い腰を上げて機種変更をしに行った。
気づいたら私のまわりは皆スマホ。
私がビリッケツだった。かけっこと一緒。
車も新車だし、エアコンも新品だし、パソコンも新品だし、なんだか全部が新しくなる。
たぶん若い頃はそれが嬉しかったに違いない。しかしその実あまり楽しくはない。
古いもののままでいいという執着が見え隠れする。人は変化を嫌うのだ。
去年、旦那が先にスマホデビューして、横でそのやりとりを見てきたから、自分の番になっても緊張なし。
機種を決めて、スタッフの方の説明を聞く。左横にはタイマー。
「45分間で終わらせます。あ、でもご主人の内容変更がありますから、55分間にします。お時間よろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
契約に際しての注意事項などの説明が、延々と続く。
パンフレットを逆に見ながらとうとうと読み上げていく姿はすごい。全く心も入ってないまま、マシーンのごとく読み進む。
こっちも内容をどこまで把握しているのかしてないのかわからないまま、
「はい。はい」とわかったようなふりをする。
途中で飽きてきて、お姉さんの笑いを取ろうとちょっかいを出す。
しかし動じない。マスクの下でどんな反応をしているのか読み取れない。
この場所は「恐れ」に満ち溢れているなあ、と思った。
サービスを提供する側の恐れ。一見消費者を守るように見えて、提供する側の守りの姿勢がちらつく。お客様のクレームがつかないよう万全の防御の体制で臨む。
客側は客側で、もし何かあったら、、、万が一の時は、、、と、
恐れの波がひたひたと波打ち際に寄せてくる。
お気楽なガラケーでは気が付きもしなかった新たな恐怖が私を襲う。万が一の場合に備えて向こうも防衛策を教えてくれる。
しかしそれが本当に防衛になるのか、、心はありとあらゆる恐れを行ったり来たり。
向こうもその客側の恐れをどこまで阻止できるかあらゆる防衛策を練る。
互いの静かな攻防戦が続く。。。
世の中は便利になった分、シンプルさは何処へやら。ますますややこしくなっていく。そして黒電話だった頃よりも、ドカンと恐れと隣り合わせになった。
私たちは便利と引き換えに、ピリピリとした静かな恐れと共に過ごすのだ。
スマホコーティング儀式のあいだ、お姉さんは急に親しくなった。
「どうしてガラケーをスマホにしようと思われたのですか?」
そう聞かれてびっくりした。
おばさん世代にとって、スマホへの移行はこの世に入る儀式であり、
人としてトーゼンの礼儀だと思っていたのに(お前がゆうな)、その質問はなんじゃ?
実は前日歯医者で、今の若い人たちはスマホをガラケーに変えようとしているという話を聞いた。
その理由は、ラインの既読スルー。
それをするのもされるもの、どっちも耐え難く、そんなことなら「私ラインできないんですう~」と言えるガラケーに変える、という人たちが徐々に増えているという。
その旨を話すと、
「そうなんですよ~。私もラインの通知はオフにしてるんです!」
情報情報と言われて何年も経つ。今は簡単に地球の裏側とつながる。
私もキーボード一個叩いて、アメリカにイラストを一瞬で送れる。
昔はフェデックスで毎回一万円かけて送っていたというのに。
その情報の山が、彼女たちには逆に手かせ足かせになっていると感じているのだ。
ラインなど、いわばどこでもドア。
物理的にそこに現れなくても、「今、何やってんの~?」と、どこからでも侵入してこられるのだ。
そのウザさが情報から離れようとするのではないか。
おもしろいのは、その情報最先端で働く彼らがそれに疲れているという現実である。
ガラケー卒業して、これから社会の一員になろうとするおばさんに、
「なんでガラケー辞めるんですか」発言は、足元をちょちょ震わせた。
しかも私が今買ったばかりのスマホをコーティングしながらw
はっきり言って、動画をそれで見る気もないし、ゲームをするわけでもない。せいぜい出先でラインをいじるぐらい。それでも一度はその世界に足を踏み入れてみようじゃないかと思ったのだ。
なーんだ。大したことないじゃん。
と、知るために。
新車も、エアコンも、パソコンも、三日で飽きた。
あさってには、スマホも飽きることであろう。
「縮む世界でどう生き延びるか?」/MF新書表紙イラスト
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