責任。
どんなにそのことばに囚われていたんだろう。。。
人に映画を勧めるのは、おもしろいものを勧めなければいけないという責任。
ブログを書く時、誰も傷つけないように書かなければいけない責任。
誰も怒らせないようにしなければいけない責任。
誰にも迷惑かけないようにしなければいけない責任。
そしておもしろいとおもわせるものを書かなければいけない責任。
仕事では、クライアントの期待を上回る仕事をしなければいけない責任。
アイディア、デッサン、申し分のないものを出さなければいけない責任。
料理はおいしいものを作らねばならない責任。
バランスよく料理を作らなければいけない責任。
部屋はきれいにしとかないといけない責任。
責任、責任、責任。。。。。
だれに?だれのための責任?
だれかにここにいていいと、言われるために。
自分がここにいていいと、認められるために。
だれに?
具体的に、だれもそう言ってないよ。
あんたが責任取ってないから、ここにいちゃだめ!なんて。。
自分のため。。?
そうだ。自分のためだ。
それは自分が攻撃をされないために、防御のための防衛策だ。
責任を果たしていると、だれにも攻撃されない。
攻撃されないための「責任」という名の防衛策。
いじめられていたころのことを思いだす。
そうだ。いじめられないためだ。
後ろ指刺されないためだ。
だが。
だれから身を守るのだ?
今、だれが私を攻撃している?
私だ。
私の心だ。
私が私を攻撃しているのだ。
いじめるのは、後ろ指さすのは、攻撃を仕掛けるのは、
わたしだ!
私という名の自我だ。
自分が自分に攻撃を仕掛けて、くるしんでいる。
自分の中の妄想で、人がさも自分に攻撃を仕掛けているかのようにおもい、
怒りとおそれの中で暴走している。
すべて、一人でやっていることだ。
一人の中に何人も役者を設定して、その役者に悪者を演じてもらう。
その悪者と戦うことで、自分を正当化する、そしてここにいていいのだと認めてもらう。
他人と言う名の自分に。
そしてまた、あらたな悪者が現れて。。。。
もうやめよう。
まったくきりがない。
攻撃しているのは自分だと知る。
ではこの攻撃をやめればいいのだ。
そんなこと言ったって、お尻叩かないとのらくらしてたら、
ろくな人生にならないじゃない!
いったい誰が言ってる?
私の自我がそう叫んでいるだけだ。
もうこのお芝居はやめよう。
ひとり狂気の世界。
0 件のコメント:
コメントを投稿