2025年4月3日木曜日

存在の恋

 

「ダッチバイク」

最近仕事を辞めた友達の話を聞いた。


彼女は勤め先の先輩にいつも仕事ができないことを指摘されて、

その度できない自分を責める日々だった。


仕事を辞めることが決まってあと数日という時、

先輩がなぜ彼女がそうなのかと、

責める心ではなく、

「どうしてなのだろう?」と尋ねる思いで聞いてきた。


彼女は指摘されると緊張してしまい、

頭が真っ白になって色々忘れてしまうのだと正直に話した。


それを聞いた先輩は、

「そうだったの。。もっと早くそんな話ができたらよかったわね、ごめんなさいね」と、

お互い泣きながら和解したという。


仕事納めの最後の日、彼女は先輩に「好きです」と告白した。

「コースが、体はコミュニケーションのために使うって言ってたから、

好きって言いたいと思ったんだ」


それは苦しみの日々の中、ふいに自分の心に気がついたことだった。

それを聞いた先輩はまた泣き、二人で泣いて。

最後別れるとき「飲みに行きましょうね」と言ってくれたそうだ。




そんな話を聞いて、私も泣く。

人が人に「好き」と告白する時、心が溶ける。

それは相思相愛になることを目的とする恋愛とはちょっと違う存在の恋。


私にも好きな人がいる。

会うたびに「こいつ、たまらん。好きだなあ。。」と思う。

そう思うとき、その人と私は溶け合う。

どっちが私でどっちが彼女かわからなくなる。

本当は全く同じなんじゃないか?とさえ思う。


そう思いながら周りを見渡すと、

あの人も好きだし、この人も好き、、、と辿っていくと、

なんだ全員好きなんじゃないか!と気がつく。





その彼女は、ある時病気していたお母さんに

「好き」とラインスタンプを送った。

するとすかさずお母さんからも「好き」のスタンプ嵐がやってきた。


それからお母さんはメキメキと元気になっていった。

その体験から彼女は思う。

「なんか~。そこに、ただ好きというところにいられたらいいんかなあって」


その気づきはとても大きいように思う。

どんな慰めの言葉よりも、励ましの言葉よりも、共感よりも、

瞬時に大きなギフトが送られる。





人に「好き」と伝えることは、すなわち自分に「好き」と言ってることだ。


自分が好き。


それは本当の本当のところ、もともとあったものなのだ。

神の子が自分を嫌うわけがない。


嫌うことになったのは、あれをしなさい。これをしちゃダメと、

自分が自分でいられないことを学んできたからだ。

自分はこうであってはいけない、

あの人のようにならなければいけないという、自分への否定。


こういう概念が私たちに放り込まれるにつけ、

私たちはどんどん自分が嫌いになっていく。

そして今の自分じゃない、あるべき姿を追いかけるようになっていく。


ナイチンゲールやリンカーンは、彼らだからこそ、そうなった姿だ。

誰も誰かのように、コピーできるかのように、なれるわけがない。



私たちが学んできたことは、元々の自分じゃないものを学んできた。

学ぶものは、もともとないものを「学ぶ」から。


でも元々の私たちは真実を既に知っている。

だから真実は学ぶものじゃなくて、思い出すものなのだ。



自分が好き。


そう思う時、内側がパワフルになる。

自分そのままでいいのだと思う時、

何もする必要がなくなる。


恋をしている時、ただそこにいるだけで良い。


自分が自分に恋をする時、

大きな喜びが、大きな花束を抱えてやってくる。








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2025年3月31日月曜日

胡蝶の夢

「山笑ふ」和紙、水彩

 

今月は忙しくてバタバタしている間に、

山桜が満開になっていた。

高尾山が一望できる場所で、

久しぶりに山笑ふこのひと時を一人堪能する。


春の香りがする大地に大の字になって青い空を眺めながら思う。


胡蝶の夢の話は、「私が蝶になったのか、蝶が私になったのか」

夢と現実の区別がつかないことを意味しているが、

実は、私は蝶でもあるし、人間でもある、

という夢を見ているのではないか。


夢と現実の区別というよりも、

この世界が夢そのものである。


その夢の中で私が蝶になろうと、人間になろうと、

それは夢の中の物語でしかなく、

「私」とは、人間でも蝶でもないのだ。



頭の中で聞こえてくる声は、常にこの世界のことを話す。

あれはどうなった?

それは解決せねばならぬ。

その解決法は、ああやってこうやって。。。。


それは「お前は人間だ」という催眠をかける。

私が人間であると信じさせる方法は、頭の中の声を聞くことだ。

頭の中は勝手にこの世界のことを物知りのようにいう。



そう。この世界は形の世界。

形が私。形と形がまぐわって新しい命を作る。

形は形を作り出し、それは変化して死にゆく。


その常に変化するものに囚われて、

この形じゃイヤだ!別の形にしたい!

と言い続けて戦っている間に、

老いというものがやってきて、

思うように動かない自分に腹が立ち、

それを別の形にしようとあの手この手を使う。


またまんまとこの形の世界に囚われて生きることの繰り返し。


ある時、「この私という人生は、

何度もなんども同じことを繰り返しているだけなんじゃないか?」

と気がついた時、ハッとして、ゾッとした。


苦しみは形の中にあるんじゃないのか?

形ばかりに心が奪われてきた、このことへの気づきが促されていた。




空を眺める。

そこには形がない。

形がないものは私と思っているこの体を覆い尽くし、

その体の中にまで浸透している。

目の前の山の中にも、木々や草花、

そこに生きる野生動物や昆虫や蝶の中にもある。


そこに心を移す時、心は広がる。

私と思っていたこの体は、

私が見ている夢の中の主人公で、

その周りにある透明な何かが本当の私。


形であるものは私ではなく、形のないものこそが私。


心がグルンとひっくり返る。

あると見えているものは存在しない。

ないように思えるものこそが存在する。


形は、私の恐れの心が映し出した夢という幻想。


その夢の中に登場する形を、

もう追求しなくていいんだというホッとした喜び。


私は蝶でも人間でもなかったという安堵。












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2025年3月25日火曜日

満ちている透明な何か

「ゆらぎ」和紙、水彩

 

このところ忙しくてわらわらしている。

日常の中に没入すると苦しくなってくるので、

全体性を意識するようにしている。



昨日友達が遊びに来てくれていろいろ話をしていた。

「本当の私」はどこにいるんだろう?

って話になって、


私は空中を指さす。

「これなんじゃね?」


その指先にあるものは何もない空間。

空気という物質でもない何か。


その場みたいなものこそが「本当の私」なんじゃないかと。


見えるこの体の中にも、

人の体の中にも、目の前のグラスの中にも、机の中にも、

森の木の中にも浸透している何か。


まったく透明でしれっとそこにないかのように振舞っているが、

そもそもそれがない限り、この世界は現れてこない。


これを非二元的にいうと、「空(くう)」とかいうんかな。

空はスクリーンに例えられる。

白いスクリーンに映写機で映像を映すとスクリーン上に映像が映る。

その映像を私たちはこの世界と呼ぶ。

しかしそもそもその白いスクリーンがない限り、その映像は映らない。

だから本当の私たちは白いスクリーンだ。

これが非二元的に正しい解釈なのかどうかはわからん。(こらあ~っ)




今ここに偏在している、満ちている透明な何かが本当の私で、

そこに現れた人影やガラスや森の中に、

何を思ったのか、そこに入っちゃったのが、

今の個人の私なんではないかと思うのだ。


別に「つくし」という人影の中に入っても、

ソファの中に入ってもどっちでもいいのだ。

でもどうせなら動いて移動できる特定の一つの人影に入った。


その「つくし」というあらかじめ設定されている性質や性格の人影に

「本当の私」が入って、その本性をすっかりこんと忘れているだけなんじゃないか?


この目の前に見えているものは存在してなくて、

全く見えていないもの、それこそがリアルに存在しているものなのだ。


そう思った時、全ては全部ひっくり返っていると感じた。逆さまの世界。

あると思っているものがなくて、ないように見えているものがある。


まったくしれっと、ずっとそこにあった。

微動だにしない、不動の、不変の、とてつもないもの。


それを神と言ったり、空と言ったり、本質と言ったり、

大いなるものと言ったり、サムシンググレートと言ったり、、、、。

きっとあらゆる言葉で表現されているんだろう。


言葉の違いで論争するのは、

それを言った人が何を指しているかわからないから、

言葉に頼ってそうなっちゃうんかも。




ウグイスが鳴き出した。

そしてカジカの声がさっき聞こえた。


雨がしばらく降らず、川にずっと水がなかったけれど、

カジカはどこかで生きていた。


透明な「本当の私」の中で起こる出来事にくつろぐ。










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