人は夜空に浮かぶ星を見るのが好き。
私もそのひとりなんだが、
先日かおりさんの話を聞いて意識したことがある。
星を見ながら、私が見ているのは星ではなかったということ。
夜空全体を感じているのだ。
昔高知の東の端に住んでいた頃は、
天の川がよく見えた。
太平洋の上に満天の星。真ん中に巨大な天の川。
今はもう見えなくなっているのかもしれない。
夜布団に入ってイメージする。
大草原、、なぜかモンゴルの大草原に大の字になって
目の前に広がる満天の星を見る。
ついでにエジプトの壁画、夜空を覆う女神の絵も浮かぶ。
その女神が私に覆いかぶさってきて、
私と夜空はひとつになった。
山、空、海、夜空、広い広い大きな大きなものを感じるのが、
今の私にとって素晴らしい癒しになっている。
犬を連れて散歩する浜で見ていた水平線は、
まっすぐではなくかすかに湾曲していた。
「ああ、地球って丸いよな~」
私が海を描くといつも曲線になるのは実体験からだ。
その地球の丸さと、それに合わせて感じられる地球の大きさを体感できたのはよかったな。
その大きなものに触れていると、頭の中で聞こえてくる小言が小さくなってくる。
それはいつも聞いているラジオの周波数ではなく、
別の周波数に合わせているかのよう。
いや、ちゃうな。
それは周波数とも言えない、ずっと昔っから流れているもの。
頭の中にはっきりと聞こえる声は、
ある一定の小さな周波数で流れるラジオ番組。
不安局、恐怖局、攻撃局、イライラ局、悲しみ局、ひとりぼっち局、おいてけぼり局、、、。
それを今までズーーーーーっと聴きづづけた。
いや、なかなかにエキセントリックな番組だった。
でもどうもこれを聴き続けても幸せはやってこないどころか、さらに破壊的になる。
共鳴して、賛同して、そうだそうだ、あいつをやっつけてくれる!と。
ついでに自分も死んでやる!と(笑)。
これらのラジオ局のスポンサーは、全部「罪悪感制作株式会社」だったのだ。
あちゃー。してやられたー。
そうして私はでっかくて、
音に聞こえない、
言葉でもない、
形でもない、
でも確かにそこにある「何か」とともにいようと思った。