2015年5月29日金曜日

畑は禅寺みたいなもんだ






やまんばにとって、畑は禅寺みたいなもんだ。
 
黙々と雑草を刈る。あたまの中で色んな考えがめぐっては消え、またはめぐってはそれをとらえ、一人エアー演説する。
(注:『エアー演説』/特定の人物や出来事に向かって、直接言えないことを心の中で金八先生風に演説をぶっこくこと)

実際黙々となんて草を刈ってない。はた目には黙々だが、心の中はぶつぶつである。

あるとき、いつも同じエアー演説をしているのに気づく。
はて。なんでいつも同じ。。?

その日、中野さんのユーチューブを見た。
「思考、止まんないでしょ?とめる方法知ってる?
人が思考を続けるわけは、自分が感じている感情を見ないためなの。『これはイケナイ感情だ』と思っているから、その自分からあふれて来る感情を見たくないために、思考で忙しくするの。」
と、ゆーよーなことを仰ってた。
なあるほど。

んで、やまんばは、畑でその思考がでて来るきっかけになる人物にどんな感情を抱いているのか、味わってみたんだ。
おお、きたきた。イライラしてる。心配してる。嫉妬してる。不安になってる。。。
おおお、こっ、、これは罪悪感だ!

そのとたん、その罪悪感がなにに対しての罪悪感かわかった。
すると今までぶつぶついってたエアー演説が、その人へのたんなる言い訳だったことに気づく。自分がいかに正しいか、まちがってないかと、目の前にいない相手に向かって、正当化演説をぶっこいていたんだ。

そして相手はなぜそんな態度をとったのか、それはやまんばが今まで解釈していたのとはまったく違う理由からだったこと、そしてそれをやまんばが勝手に勘違いしていたんだってことに気づいた。
それに気づくと、もうその同じことのエアー演説はやって来なくなった。


今日もまたひとつの発見があった。
座っていようが、草を刈っていようが、心の内側を観ることは大事な時間だなあ。


絵:小仏カッパちゃん

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