2013年1月25日金曜日

信念をなめたらいかんぜよ


やまんばは、自分が持っている信念が正しいとおもってきた。ずっとそれでいけるとおもってきた。
だけど過去になんどもいざこざがあって、それはほとんどが自分が持っている信念と、別の信念に出会ったときに起った。
信念と信念がぶつかり合い、それが混ざることはなかった。
じゃあということで、あいだをとって足して二で割って丸く収まることは、まれなケースだった。たいていは、心に何かを残したまま、どっちかにあわせることで妥協した。

それが大人のやり方だと思った。それしかちがう信念同士がやりくりする方法はないと思った。
だけど、クリシュナムルティにであった。自分の信念が自分を苦しめていることを知った。

練習したら泳げるようになるように、心も、練習すればうまく考えることができるようだ。私たちは部屋の中を快適にできるように、心の中も快適にできる方法をもっている。

「問題」にぶつかったとき、わたしたちはその「問題」を解決しようとする。その問題は自分の外にあるものとして、悪いことだととらえる。
しかし泳げないことは「それは水が悪いのだ」とは思わない。自分が泳げるようになろうとする。

実は心の中もこれとまったく同じことのようだ。
問題にぶつかるのは、そこに自分が持っている信念がある、と気がつくことができる瞬間なのだ。その問題がおこったのは(本当は問題ではないかもしれない)、その人が大事に信念として抱えているものを明るみにし、手放すことを待ち望んでいる。

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