2013年1月22日火曜日

ばあちゃん力



89才でマラソンやっているばあちゃんがいるらしい。そのばあちゃんは、今度ブラジルで行なわれる高年齢のマラソン大会で優勝を狙っているらしい。練習にでかいタイヤを引っ張って走ってた。

一方、91才で現役のピアニストがいる。リビングにはグランドピアノが二台あって、今もコンサートのためのリハを他の演奏者たちとそこでやっている。8時間ぶっ通しでひきまくると言う。
やまんばはそんな姿を見るのが楽しい。やまんばもそんなふうになってみたい。

彼らが共通して言うことは、
「好きなことやって、好きなもん食べるのがいーのよ」だ。
彼らは朝から肉を食いまくる。
どうも最近は年寄りが肉ばかり食うシーンが多い。これは意図されたものか。反面、別の番組では心筋梗塞や脳梗塞が増える話をする。どこまでいっても視聴者を混乱させているようにしか見えない。
これも「肉食えば元気な老人になれる」というふうに誘導しているかに見える。

だが彼らがいってるのは、
「好きなことして好きなように暮らす」
ってことなんじゃないだろうか。

本当はそこにつきるんじゃないだろうか。
だけどフツーの人は心がおろおろさせられる。あれダメなんじゃないか、これしちゃいけないんじゃないかと。情報はあらゆるものをうえつける。知らない間にどんどんいらん心配をし始める。無意識のうちにそれが「信念」になり、その信念に翻弄され続ける。
だけどかのばあちゃんたちは、あれがダメだとかこれ食べちゃいけないとかおろおろぐちぐち考えてないように見える。きっと若い頃はおろおろしたり苦労しまくったのかもしれない。だけど少なくとも今の彼らにはそんなもんはみえない。

やまんばも生まれて来てからずっと自分に植え付けて来た大量の信念に気づいてきて、最近びっくりして来ている。
「信念」っていうと、なんだか素晴らしいことのように思う。だけどクリシュナムルティもエックハルトトールもニールも都留さんも「信念を捨てろ」という。最初はその意味がチンプンカンプンだった。だけど今はその意味がわかってきたようなきがする。それを持っているとどんだけ自分を見失うか。

思考はそれをエサにして生きる。そしてその声に人類は振り回されている。
その声に振り回されるのではなく、その声を利用するのだ。

きっとばあちゃんたちは、その声を利用しているのだ。
生命ってすごいなあ。

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