2012年5月16日水曜日
昔日記ってつけてたよねえ
その日一日の出来事が走馬灯のようにぐるぐる回って、なかなか眠れないことってない?
特になれない場所にいったり、大勢の人に会ったりした夜は、その日のいろんなシーンが巡って寝ているのか起きているのかわからなかったりする。
やまんばは最近やっていることがある。
夜寝る前に、その日一日起きた出来事を、朝から順を追って思い出す。すると朝までぐっすり眠れるのだ。ふしぎ。
やってみるとわかるけど、その日の出来事なのに、なかなか思い出せないものだ。だけどだいたいでいいようだ。
朝起きてえ~、えーと、ねぼけてころびそーになってえ~、、え~とっと。それからなんだっけ?ああ、服着て、朝ご飯の用意して。。。。あれ?それからなんだっけ?といいながら、断片的にでも思い出していく。するとたいてい夜にいたるまでに寝ちまっている。夜中に目が覚めることもない。たったこれだけのことなのに。
これは一体どういう現象なのだ。
昔日記というものをつけたよなあ。
これって、ひょっとしたら、やまんばがやっていることと同じ作用をしているんじゃないだろうか。つまりその日一日起きたことをふりかえることによって、出来事を「消化」しているんではないか。子供のときは日記つけることを義務にされていたところがあったけど、じつはその子の中での出来事の消化をうながしているんだとしたら、日記って深い意味があったんじゃないだろうか。
今は大人で日記つけている人少ないと思うけど、昔はよくいたよね、日記つけている大人。一般的には、文章がうまくなるとか、記憶力が増すとか、細かいこと思い出すことができるとか、そうゆう理由づけされているけど、本当は何か他のところに意味があるのかもしれん。
人は死ぬとき、その人の一生をものすごいスピードでふり返るらしい。それもこの寝る前にやる一日の出来事を思いだすことと似てないか?
物質として生まれてきているあいだに巡ってきた出来事を、物質としてはなれる前に消化しているのかもしれん。消化し終わって始めて、消化が、浄化になるのかもしれん。
ということは、私たちは日々起きている出来事を、消化というか浄化しながら生きるのは、何かの衛生上必要なことなのかもしれない。
これも「過去に死ぬ」ってことなんじゃないかな?なんておもうのであった。
確かシュタイナーもおなじこといってたなあ。でも彼の場合、逆まわししろと言ってたような気がする。朝からより、今起こったことから始める方がおもいだしやすいかもね。でも途中から、え?どっちが先だっけ?ってわからなくなる(笑)。
ようするにどっちでもいいような気がする。
絵:「社長の勉強法」MF新書表紙イラスト
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2 件のコメント:
累計で10日くらいはつけたかな・・自分の日記は。
みっ、みじかーっ!
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