自然は常に刻々と変化している。
季節は巡って、毎年同じように変化しているように見えるけど、よく観察するとひとつとして同じように変化しない。決してくりかえしは起らない。全てが流転しその刻々に変化を繰り広げて、さながら川を流れる水のように変幻自在なのだ。
それと同じように動物も昆虫もいつも同じように同じところにはいない。自然も虫も動物も、刻々と変化して常に新しいのだ。
人間という種族もこの地球上に生まれている限り、自然と同じように変化しているのだろう。しかしひとつだけちがう。
人間は同じ事をくりかえしたがる。
木が「アタシは去年のように同じ枝ぶりでいたい」とか、イノシシが「去年と同じところで同じミミズ食いたい」と、ねがうだろうか。
彼らはただ淡々と、刻々の変化に身をゆだねているように見える。
なぜか人間の中には願望がある。
「あたしはこの生活が好きなのよ。このままずっとこれで生きたい」とか「オレはこんな生活いやなんだ。だからこの町を出る!」とかいう。
これでないあれ、あれとおなじもの、願望の始まりは、葛藤を生む。葛藤は苦しさを生む。苦しさは恐怖を生む。
木に葛藤はあるのだろうか。イノシシに葛藤はあるのだろうか。
その葛藤が文明を生んだのだ。という。だからこそ人間なのだという。イノシシや木とは違うのだという。
その事で葛藤を正当化するだけでいいのだろうか。その葛藤が人間にあらゆる不幸を招き寄せる事も理解する必要があるのではないか。道具は使いこなせてなんぼなのだ。
自然界の動植物は、人間界のように病気に満ちあふれているのだろうか。自然界の昆虫たちは人間のようにみじめな気持ちになったりするのだろうか。
人間も同じこの地球上に棲息している生き物なのだ。彼らのように死ぬまで生きて、空を飛ぶオオタカのように、生きる歓びを感じて生きられるのではないのか。
私たちの中に起っている葛藤が、本来自然に流れている、ほかの生命たちと同じような強烈なエネルギーの流れを、せき止めたり歪んだものにしているんではないだろうか。
私たち人間種もまた、草を食む虫のようにたのしげに、風になびく木の葉のように、谷に響き渡る野鳥の唄のように、上昇気流に乗るオオタカのように、今を謳歌できる地上の生き物なのではないか。
3 件のコメント:
多分同じことを裏側から見て、言い方変えてるだけと思うけど・・・。
私は、人間だけが新しいことを始められる生き物じゃぁ無いかと思っています・・。
他の生き物たちは、全く新しい環境にも、全然悩まずに対応しようとする。で、結果適応できなくても、誰も恨むことなく、悩まず死んでいくのではないかと・・・。
私の文句は、他の生き物が適応できないような新しい環境のほとんどは、新しいことを試したがる人間が作ってるんじゃないかと・・・。
いつも楽しく拝見させて頂いてます。
このブログ、時々読みますが面白いですよ。
TSUKUSHIさん共感するのでは。良かったら見てみてください。http://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/森へ行こう
匿名さま
いつものぞいてくださって、ありがとうございます〜。
ご紹介いただいたブログ、さっそく読んでみます。
ありがとう!
まいううーぱぱさん、
人間だけが新しい事。。。ですよねー。
ま、そのためにひとりで地球をこわしてる。。。ともいえますが(笑)。
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