町会の冊子が出来上がってきた。
印刷状態も良く、製本も美しくほっとする。
さて次の恐れがやってくる。
これを見た町会の人に何を言われるんだろう?
どんな間違いを指摘されるんだろう?
だが一番うるさかったオヤジが、「よくやった」と褒めてくれた。
それだけでこれまでの苦労が泡となって消えていった。
200メートルぐらいの長さの東西に伸びる町会には神社が4つある。
その一つ一つの歴史も冊子で辿ったので、一つ一つにお礼を言いに行く。
またそれぞれのいわれのあるお地蔵様たちにもお礼を言いにいった。
夜、小さな恐れが私を悩ます。
ああ、またきた。。。どうすればいいんだろう。。?
そうだ。これは消えていくために現れているんだと思い出した。
小さなゴミのような恐れがいくつも中に浮き上がって、だんだん上に上がっていく。
こうやって消えていくんだな。。。
私はそれをじっと見守る。
するとある人のことが頭に浮かんだ。
そうだ、あの人の心が癒されますように。
そっと祈る。
祈れば、次に別の人の顔が浮かぶ。
ああ、この人も苦しんでいたよな。
そうやって、町会の人々の顔が浮かんでは祈ることが続いた。
小さなゴミのような恐れは次から次へと現れては上に上がって消えていった。
町会の歴史を刻むことは、過去を定着させることになるんではないかと思っていた。
そういう意味ではこの世界を実在化する。そんな恐れがあった。
しかし別の解釈があったのだ。
この小さな町会に埋もれていた歴史を表に表すことで、それは浄化され消えていくのではないか。
恐れが表に出てきて浮上し、消えていくように。
私が調べられた範囲は、ほんの少しの江戸時代の話と、せいぜい戦後のことだ。
文献もなく、ご長老は次々に亡くなっていき、語る人もいなくなる。
でもそれでいいのだ。
今の生きている人たちの背後に脈々と続いてきたものがある。
そこに触れたことで、過去の恐れや苦悩を浮上させ、昇華させるのではないだろうか。
私は民俗学者の宮本常一さんが大好きだった。
著書『忘れられた日本人』の中の、「土佐源氏」馬喰の話には心が震えた。
彼は名もなき物語を浮上させ、人々の心を癒す役割を担っていたのだろう。
あるいは私もまたこの町会の背後にあるものに、
動かされていたのかもしれない。
絵:おぼろ月夜
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