2011年7月28日木曜日

親のしつけ





先日、あるお母さんがなげいていた。
「息子がぜんぜん朝起きないのよ~」

「もう、がんがんに怒って怒鳴ってやっと起きてくるの。朝からたいへんよ~。こないだなんか、あまりに起きてくるのが遅いから、私のパートまで遅刻しちゃって。。」
「そんなの『じゃ、お母さん先いくからね』ってほっぽっといたらえいやん。」
と私。
「だめよ~、そんなことしたら。学校ずる休みしてたんだから!」

学校から電話があって発覚。彼一日中、なにしてたんだろな。
彼はなかなかいい子なのだ。近所のおばさん(やまんばにも)にもぶっきらぼうながら挨拶する。最近は、大人を無視する子が多いのに、大人の存在をちゃんと尊重している。それはとーちゃんかーちゃんが厳しく育てたからなんだろうな。まだ彼がちっちゃかった頃、よく彼女に頭小突かれてたのを思い出す。

入学した中学校には、知らない生徒がいっぱいいて、戸惑っている様子。こっちから声をかけても気のない返事をされたりして落ち込んでいるそうな。だから学校には行きたくない。だけど母ちゃんとしては、「そんな事でこれからの人生どう渡って行くの!」という熱い思いがあふれているから、「早く行きなさい!」となる。わかるわかる。私もそうやってハッパかけられて育って来た。


多感な少年時代、ちょっとした事で傷つくもんだ。自分の事に興味がないんだ。。。と思い込んで、奮起して声をかける勇気がない。自分に自信がないのだ。そりゃそーだ。単純に考えて、学校で友だちに無視されるわ、家ではいつも怒られるわ。お前はだめだだめだと言われ続けるし。
そーゆー状況にいて、自分に自信が持てるだろうか?
「かーちゃん、友だちに無視されるよ~」
「だからお前はダメなんだよ」
「。。。。」

子は親を見て育つ。子には親しかいない。親を離れるということは、即、死につながっている。だから必死で親のいう事を聞く。
「お前はダメだ」
と言われると、そうかオレはダメなんだ、とおもう。親は愛情のつもりでハッパをかけるが、子供はその言葉をそのまま受け取る。
「オレはダメなんだ」
最初のそのインプットは、いろんな場面で確信につながる。友だちに無視される、遅刻する、ずる休みする。ほら。やっぱりオレってダメな人間じゃん!とね。

彼の目の動かし方を見ているとわかる。おどおどしている。人の顔色をいつも見ている。けっこう大きな身体をしているが、それに似合わず格好は小さくなっている。

親は親で大きくなる息子に脅威を感じている。今でこんなに問題があるんだからこれからどんなことが起るかも分らない。。。と。だから息子に気を使いつつ、怒る。


「そんなふうにいつもダメだダメだっていうから、自信なくすんじゃないの?」というと、
「だって、それ言ってないと、何しでかすかわかんないじゃない。朝起きる事さえうまくできないヤツは何やってもダメじゃん」という。

朝うまく起きられないことが、人生のダメモードの始まりだと言っている。だけどやまんばがおもうに、そもそもなぜ起きられないかと言うと、学校がイヤなわけで、その理由は、友だちに無視された事で、それを大きくとらえてしまう心があるわけだ。それは、自分がひょっとしたら、ほんとにダメなニンゲンなんじゃないか?という結論に導かれてしまうという怖れがあるわけだ。だからそれを導きだしてしまうかも知れない学校にいきたくないのはトーゼンだ。そもそも学校とは公の社会であって、今その彼の資質を試されている!ともいえるからだ。ほんとはそんなことでその人の資質が決まるわけでもないのに。

ところが彼女の頭は、遅刻するのは人生の脱落者という構図が出来上がっている。自分の息子を人生の脱落者にするわけにはいかぬ。親の責任として言って聞かせるべきなのだ。「そんなことでどーするの!」
この言葉は、彼が遅刻を止めるまで、言い続けなければいけないのだ。なぜなら、「言わないととんでもないことになるから」
とんでもない事とは、学校休んじゃうし、勉強はできなくなるし、成績落ちてグレるし、そのうち悪い奴らに捕まっちゃうし、犯罪なんか侵しちゃうし、そーなったら、もうここには住めなくなる!
ちょっと待っておくれ。それって自分の事心配してね?


そんなことでどーする、と息子に言い続けるのは、じつは「これ言い続けているうちはまだマシ」と思う彼女の心の保証であって、彼の保証ではないのだ。
反対に、そんな事でどーすると言われれば言われるほど、彼はますます自信をなくし、ますます学校に行けなくなる。だって、友だちに声をかけて無視された事にぐじぐじ悩むのは、自分が「オレっていけてねえし」と思ってるからでしょ。そのいけてねえしを作ったのは、親の言葉なのだ。その親の言葉が容赦なく降り掛かる。「そんなことでどーする!」

親は、子供に常にそう言ってないと、何しでかすか分らんと思って言い続ける。しかし子は親の言葉によって「おれいけてねえし」という確信に向かう。
するってえとどーなるかっちゅうと、学校休んじゃうし、勉強はできなくなるし、成績落ちてグレるし、そのうち悪い奴らに捕まっちゃうし、犯罪なんか侵しちゃうし、そーなったら、もうここには住めなくなる!
ほーら。親の思った通りの子になるのだ。
そーゆーのを今ハヤリの言葉で言うと、負の連鎖ってことかいの。なんかいやだね、この言葉。

どっちもなんとか頑張っていい親でありたいと思うし、いい子でありたいと思っている。昔は厳しく育てて立派な大人に成ったという歴史がある。だから子は厳しく育てろと。そーやって、厳しく育てられたもんだ。たいていどこの親も厳し〜く育てた。んで、この世の中さ。りっぱじゃん?りっぱな世の中じゃん?


「ほめなよ」と私。
「へ?どこほめるところがある。」と彼女。
「あるじゃん、いっぱい」
「どこよ」
「お肌」
「なんじゃそりゃ。。。」
「何でもいーから朝一発ほめる。『あ〜ら、今日はお肌つやつやね〜』と」
「え〜〜〜〜、そんなことお?」

『おれ、ほめられて育つタイプだから』がはやったのは、ある意味真理をついている。
誰が彼を育てるのだ?ほめる事は何よりも彼にエネルギーを与える。ほっぺのひとつでも、プチって触ってあげればいい。「やめてよ〜かあちゃん」って言うかもしれない。でも心のどこかがウフッてよろこぶ彼がいる。ほんのささいなことで、朝から少し空気が和む。
言葉は諸刃の剣だ。それで人を斬る事も出来るし、生かす事も出来る。今の時代は阿吽の呼吸なんてえもんは、もはや存在しない。言葉をフルに使って人を生かすのだ。

「オレ、肌きれいなんだな。。。」
と思いながら学校にいくはずだ。彼の心にエネルギーの明かりがポットともる。身体が暖かくなっている。かあちゃんはすかさず、次の一手を打つ。弁当残さず食った事、ちょっと筋肉がついて来た事、玄関の靴がそろっていた事。。。。
きっと彼の反応は、「フン」だ。でもそれが確実に彼の心にはいってくる。

エネルギーをつくろう。そのささいなことがいつのかにかその人のパワーになる。
そのパワーは、友だちにもう一度声をかける勇気を与える。すると友だちからの反応に対する彼の反応にも変化があるはずだ。気のない返事をされても、「あ、今忙しいんだな」という解釈になるかもしれない。不思議な事に、こっちにエネルギーがあると、向こうもそれなりの反応を示してくる。学校にいくのが楽しくなる。朝起きるのがおっくうでなくなる。遅刻しなくなる。

かーちゃん、あんた次第で家庭は変わる。家庭が明るくなると、とーちゃんも仕事で明るい。仕事場が明るくなると、従業員も明るくなる。営業マンも明るくなると、その得意先も明るくなる。そーやってこの世は連鎖していくのだ。


絵:似顔絵「ドクター中松」

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

昔子どものことで悩んで学校の親に愚痴ったら
「それ怒らないで褒めるとこでしょ」と言われた。「褒めなきゃ育たないよね?」
「でも・だって・・」と反論しかけたら、
「だって、子どものすることは親の責任でしょ?自分で、褒められないことする様にしたのは自分の責任でしょ?子どもの責任ではないよね?」
・・ははぁ正論でした。

つくし さんのコメント...

はあ〜、厳しいご指摘だねえ。
親だからって、立派な大人でもなく、子供だからって、あほなわけでもないよねえ。
そう、責任責任っていわれても、親だって未熟なニンゲンだわい!みんな苦悩しながら親も子供も学んでいくんだわな。

その人は、どっちが悪いとか、どっちが正しいとか言うことにとらわれているな。そんな二元論的な見方でとらえていたら、自分で自分の首閉めちゃうぞお。