最近実験をしている。
目の前に広がっている風景を全部光で見るのだ。
目の前のパソコンやライト、自分の手。
ぜーんぶ光としてみる。
そうはいっても肉眼で実物を見ているから、単なるイメージでしかない。
それでも一瞬だけパッと見える。
面白いので散歩の度に目の前のものを光で見る。
光り輝く道、光る杉の木、キラキラする雑草たち。。。
よく見てみると、光の粒子がうごめいている。
かすかな淡い色の違う丸い粒子が混ざりあって、樹々と葉っぱの間に境がない。
お互いがお互いの粒子を絡ませながら、ゆらゆらとゆっくりと空に上がっていく。
ハッと我に帰る。
いつもの風景。
肉眼では、杉の木は杉の木として、葉っぱは葉っぱとして、互いに独立して見えている。
あらためて光で見ると、木々どころか、道も山も草もみんな光で一つになっていく。。。
「ああ、そうか。もともと彼らは光なんだ、、」
と気づく。
光であったものに、私は肉眼で、そこに木や山を見ているのだ。
そうすると肉眼というものが怪しくなってくる。
木や山があるから、それを肉眼で捉えた、と思っているが、
この肉眼だから、それを木や山という風に見ているのではないかと。
笑えてきた。
物理学がひっくり返される。
物質がある大前提で考えられているものが、
「この肉眼が見ているからそこにあるように見える」だけだとしたら、、、?
今度は人を光で見てみる。
自分を光で見ようとした時、じゃあ、この体も光だとすれば、この肉眼さえも光だということになる。。。
物質界がますます怪しくなってくるw
私たちはこの空間という物質界に、
一人の人間の形をした生き物として生まれてきたと思っているが、
そもそもこの物質界という空間さえ捏造されたもので、
そこに一人の人間として生まれたということさえ、
捏造されたものだったとしたら。。。
私たちは大きな勘違いの考えを与えられ、
洗脳させられて、
生まれては死んでいくという錯覚を見ているだけなのかもしれない。
絵/余韻
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