さて友人と母と従姉妹と旨い魚や鰻やイタリアンやスイーツなどのざんまいを味わい、
楽しくて美しい時間を過ごした二泊三日の高知の旅は終盤を迎える。
そしてやっちまった。
レンタカーで空港に向かう途中、道を間違えた。
なんと高松に向かう高速に乗ってしまったのだ。
出発まであと一時間。なに高松に向かってるねん。
この道は四国山脈を突っ切る道。どこに出口がある???
私はパニクった。
そしてその先に南国出口があるのを知り、
高速道路を降りて地道を一気に駆け抜ける。
レンタカーを返し、ギリギリセーフで飛行機に乗れた。
しかしその際、久しぶりにおもいっくそ走ってしまい、
やっちまった。。。
日頃からなんとなく左の膝が痛かったのだが、
よく歩きはするが、ここんところ走るなどという行動することはなかった。
走ってる最中、グキッと何かが言った。
無事羽田に到着して空港の中を歩く。
痛くて歩けない。
しかもなんて遠い長い廊下なの~ここは~。
車椅子がチラリと見える。
いや。やめとこう。
ダンナに後ろをついてもらってゆっくり歩いた。
あいにくリムジンバスはなく、電車に乗る。
階段がきつい!
体の不自由な人々の気持ちがちらりとだけわかる。
雲とビルの間から、夕焼けに染まった真っ赤な空が模様のように見えた。
「東京の空だね」ダンナが言った。
「うん。ほんまや。高知にはない」
電車に揺られながら、穏やかな時間が流れる。
今までは高知でいる時と、東京でいる時とは何か違った心持ちがあった。
プレッシャーのような緊張感のある重みが。
でも今の私には高知も東京も同じように見えた。
帰宅ラッシュの電車に乗るたび、小さなトラブルに巻き込まれる。
京浜線の急ブレーキとしばしの停車。
中央線の乗客同士のトラブルでの遅延。
みんな満員電車の中で黙って待つ。
心の中で一人つぶやく。
「私は霊だ。私の心からあなたの心に平安を広げます。」
私が乗っているこの電車のすべての人々は私と同じ一つの心だ。
そう感じながら、私の心はとても幸せに満ちていった。
コースを学び実践していくうちに驚くのは心の変化だ。
さっきまでモヤモヤしていても、
霧が晴れるように消えることが増えてくる。
別にそのモヤモヤの材料が解決されたわけでもない。
何も変わらないのに、心が平安に変わる。
この足の痛みは痛みとしてあるけれど、それを拒絶せず、受け入れるうちに、
それを苦痛とは思わなくなってくる。
この違いを説明するとすれば、
「自分は体だ」という思いとビッタリくっついていると、
痛みを自分の痛みだととらえるが(夢の中の主人公)、
「自分は体とは別のものだ」とどこかが知っているから、
それを自分の痛みだとは信じていない(夢を見ているもの)、
ということになるのだろうか。
このことを通して、私たちは体ではなく、心なのだと知り始める。
平安は心に静けさをもたらしてくれる。
これがどれだけ力を与えてくれることか。
平安が戻ってくると、心の中の言葉が減ってくる。
それはこの世界でいかに生きようかと、
策を練ることがなくなってくることでもある。
それに心は過去と未来を行ったり来たりしなくなる。
考えたら、明日平安だったり、未来に平安になろうとするって変じゃない?
平安を感じるときはいつも今だ。
そんなとても大事なことを、この旅は教えてくれた。
旅の中で出会ったすべての人々に感謝します。
ありがとう。
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