2022年9月8日木曜日

恐れさせといて、恐れるなという声(笑)


 

心の中を、そーかそーかと見るという習慣を持っていくと、

心が強くなってくる。


心が強いってえのは、

「恐怖に打ち勝つのだ!

恐怖に打ち勝ってこそ、お前はお前を越えていけるのだ!」

とゆー、ど根性がつくスポ根の話じゃない。


恐怖を押さえつけて、捻じ曲げて、抹殺して越えていく強さじゃない。


むしろ、その恐怖を見る強さだ。


心の中に恐れを見つけると、

「私は恐れている」ということを否定せず、

ジャッジせず、見なかったことにせず、なかったことにせず、

まっすぐ見ることができるようになる。



怒りもまた恐れの別な表れ。


怒りは自分が誰かから抹殺される!

という恐れが攻撃態勢に入ることを言う。


防衛と攻撃は同じもの。

どちらも恐れから戦いになる。


ケンカが互いの存続保持のために戦い合っているのは、

その根底に、自分が抹殺されるというおそれがあるからだ。


悲しみ、嘆き、惨めさ、不安、心配、欠乏感、、、、。

すべての元になっているのが恐れ。




ところで自分の中にしょっちゅう喋っている声はないかい?



その声は恐れを吹聴する。


「。。。こうなったらどうする?」


それを聞いた私は、

「はっ!そうだ!こうなったらどうするんだ!ヤバイヤバイ!」

と焦る。


そうするとすかさずその声はこういう。

「恐れるな!」


おいおい。恐れさせといて、恐るなって言ってるじゃねえかー(笑)!


その瞬間、恐れながら、恐れをなきものにしようとする、

無茶苦茶な状態になる。

例えていうなら、アクセルとブレーキを同時に踏むような。。。


この混乱がさらに恐怖を呼ぶ。




その声こそが、私たちが肉体を持った、

互いが分離した存在だって吹聴しているものだったんだ。


肉体をどうにかしろ。

(綺麗になれ、お金持ちになれ、戦いに勝て)


肉体こそがすべてだ。

(負けたら終わりだ)


世界はここだけしかない。

ここでサバイバルして生きるしか道はないんだと。


そう繰り返す声。



それを見て、それを選択しない力が湧いてくる。





絵:高尾の天狗









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