心の中を、そーかそーかと見るという習慣を持っていくと、
心が強くなってくる。
心が強いってえのは、
「恐怖に打ち勝つのだ!
恐怖に打ち勝ってこそ、お前はお前を越えていけるのだ!」
とゆー、ど根性がつくスポ根の話じゃない。
恐怖を押さえつけて、捻じ曲げて、抹殺して越えていく強さじゃない。
むしろ、その恐怖を見る強さだ。
心の中に恐れを見つけると、
「私は恐れている」ということを否定せず、
ジャッジせず、見なかったことにせず、なかったことにせず、
まっすぐ見ることができるようになる。
怒りもまた恐れの別な表れ。
怒りは自分が誰かから抹殺される!
という恐れが攻撃態勢に入ることを言う。
防衛と攻撃は同じもの。
どちらも恐れから戦いになる。
ケンカが互いの存続保持のために戦い合っているのは、
その根底に、自分が抹殺されるというおそれがあるからだ。
悲しみ、嘆き、惨めさ、不安、心配、欠乏感、、、、。
すべての元になっているのが恐れ。
ところで自分の中にしょっちゅう喋っている声はないかい?
その声は恐れを吹聴する。
「。。。こうなったらどうする?」
それを聞いた私は、
「はっ!そうだ!こうなったらどうするんだ!ヤバイヤバイ!」
と焦る。
そうするとすかさずその声はこういう。
「恐れるな!」
おいおい。恐れさせといて、恐るなって言ってるじゃねえかー(笑)!
その瞬間、恐れながら、恐れをなきものにしようとする、
無茶苦茶な状態になる。
例えていうなら、アクセルとブレーキを同時に踏むような。。。
この混乱がさらに恐怖を呼ぶ。
その声こそが、私たちが肉体を持った、
互いが分離した存在だって吹聴しているものだったんだ。
肉体をどうにかしろ。
(綺麗になれ、お金持ちになれ、戦いに勝て)
肉体こそがすべてだ。
(負けたら終わりだ)
世界はここだけしかない。
ここでサバイバルして生きるしか道はないんだと。
そう繰り返す声。
それを見て、それを選択しない力が湧いてくる。
絵:高尾の天狗
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