2022年9月5日月曜日

力が戻ってくる


今、目の前に起こっていることすべてを

私の心の中が何を信じ、
何を考えて解釈しているのか
ということの現れてとしての
責任は
私にあるとして、受け入れはじめている。



赦しとは、すべてを受け入れることなのではないか。

最近は、そんなふうに思い始めている。


どんな知覚も、それに対する判断からくる感情も、

たとえ恐れであっても、

それを正そうとも、いけないとジャッジすることもなく、

そのまんま受け入れる。包含する。


包含すると、目の前のものが、

すーっと自分の元に帰っていく。


ここから現れたものだったので、

それが現れた元に帰って行き、

ここに収まっていく感じがするのだ。



動揺する原因は、外にある出来事ではなく、

それはすでに結果として現れただけだ。

原因は私にあった。私の心が現れている。


だからこそその分離の考えは、

それを起こした私の心に戻っていくのだろう。


すべてが私の中に帰ってくると、力が私に戻ってくる。


目の前のものは、確固たる物質として、私を襲っては来なくなる。


静けさと力強さが満ちてくる。



拒絶とは分離であった。

包含とはひとつであった。


忘れていたことが思い出されてくる。




絵:栗拾い 

小学生の時、栗拾いのバイトをしたことがある。
坂を滑り落ちてお尻に棘がいっぱい刺さって痛かった。
だけどお昼にもらったあんぱんのとても美味しかったこと。
今は昔の物語。



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