コースのおかげで、私は平安を知り始めた。
しかしこれを人に勧めていいものかどうか悩む。
はっきり言って過酷だからだ。
先日相談に来た人も、自分の心を見ることがどれだけ恐ろしいかを私に教えくれた。
1年遅れで一緒にコースを学び出したうちのダンナ。
彼は自分の中の罪悪感にピンと来ていなかった。
しかし心を見るうちに、徐々に自分に罪悪感があることに気付き始める。
そしてその罪悪感がどれだけ自分を翻弄していたかを知る。
今はその自分の露わになった罪悪感に苦しんでいる最中だ。
だがそれが偽物であることを形而上学を学んで理解し、
実践していく間にそこに光を見いだしつつある。
神の子、つまり本当の私たちに罪などというものはない。
罪はないのだと知識で知り、
「罪なんてないから~」と、ないフリをする。
それこそ自我の思うツボ。
罪悪感の自覚のないまま、隠蔽し続ける。
しかしそのままではいつまでたっても本当の平安はやってこない。
真っ黒いキャンバスの上にいくらピンク色を塗っても、
下地の黒がみえて、きちゃないままだ。
はっきりと自分には罪悪感がある!
という自覚があってこその、
訂正の訓練からの~、
無罪の自覚なのだ。
くわ~~~。
だから自分が一体何を抱えているのかを知るために、
徹底的に自分に正直にならなければいけない。
正直になるためには、
自分の心を見るという作業をしなくては正直になれないのだ。
その作業を一人ではなく、聖霊とともに見る。
しかしこれがきつい。
だって自分の心を見ることで最初に見えてくるのは、
自分の葛藤だからだ。
見れば見るほど、自分の闇を見る。
どんだけずるいか、
どんだけしたたかか、
どんだけ残酷か、
どんだけイヤラシイか。。。w
もう、「どんだけ~~~~~~っ!」って感じ。
しかしその自分の心を見るという作業が、
心の強さを作り上げる。
コースのすごいところは一冊の本の中に(日本語訳では2冊)、
自我の力動の解説の合間合間に、本当の私たちの姿をこれでもかと教えてくれる。
自我の闇を露わにさせつつ、
そこに聖霊の光を間髪入れず差し込み、私たちの心を正しい方向に導いていくのだ。
闇など一筋の光であっというまに消えてしまうがごとく。
奇跡のコースは、
もうこんな世界に一秒たりともいたくない!とか、
なんかこの世界、めちゃくちゃ変だ!絶対おかしい!
と、この世界でなんとかして幸せになろうという思いさえも失われて
絶望しつくしてしまった人に響く。
そんな方々にオススメです。
(どんだけ~~~~っ!)
絵:水引草
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