恐れさせといて、恐れるな!という声。
これが自我の声。
私たちをいつも恐怖のズンドコに陥れてやまない恐怖のキャラ。
恐ろと言いながら恐れるな!というのは、
実は恐れを隠蔽して、なかったことにすることで、
私たちが心の中に入っていかないようにするためだ。
見られたら困るのは自我の方。
正体がバレるから。
(実は存在していないのが)
だからいつも見ないように見ないようにさせる。
背中に何かふわっと触るものがある。
お化けを思い出して、ゾワっとする。
(お化けを思い出させる)
振り向いたら、ヤバイと思う。
(ヤバイものがあると脅す)
そして私たちに振り返らせないようにさせる。
だって振り返ったら、ただの柳の木だってバレるから。
(何も怖いものがないと知る)
これが自我がずっとやっていること。
見せない。見ないように仕向ける。
ずっと恐怖のズンドコにいさせる(笑)。
恐怖のズンドコにいるのが疲れてきたら、
心の旅に出るのだ。
(どっかにあったな~~こーゆー歌)
振り返って、柳の木を確認したら、
そこから心の中に入っていこう。
心というのは、コースでは原文でmindという。
日本人の私たちにとって、
心ってどこか胸の奥で感じるものというロマンティックなイメージがあるが、
コースのこれは、もっと論理的な「考え」と言っていいだろう。
つまり心の中を旅するというのは、
自分の中にある「考え」を見ていくという意味なのだ。
自分の中にどんな考えがあるのか、
どんな信念があるのか、
どんな概念があるのか、
どんな解釈があるのか、
どんな判断があるのかを見る作業なのだ。
全然ロマンティックじゃない(笑)!
その「考え」で、私たちは大いに振り回されている。
実はその考えのほとんどが、自我が教えてくれた考えだからなのだ。
自分がどんな信念を持っているかを知るに一番いい方法がある。
反応を見る、だ。
自分がドキッとしたり、ゾワっとしたり、カッとしたり、ゲっと思ったり。。。
その反応に気がつくこと。
その反応の奥に、必ず判断がある。
これはいいこと、悪いこと。
その判断をするには、定義がある。
それが信念。
自分が持っていて、当たり前だと思っている信念。
それがあるから苦しむ。
そのことに気がついていく。
心の旅のはじまりだ~。
絵:「小佐野賢治」/モンスター列伝より
0 件のコメント:
コメントを投稿