兄弟が間違ったことを話している。
それを正そうとする自分に気づいた。
その瞬間、さっと何かが入り込んだ。
言葉にならないものが、コンマ一秒もない短い時間の中に。
それを言葉に置き換えると、こう言う感じだった。
そうだ。このままでいいのだ。私は何も正さなくていい。
彼は間違うままでいいのだ。それが彼の役目。
私はただそれを受け入れるだけでいい。
そう。この世のすべてが間違っている。
そのすべての一部をどう正すのだ?
正せば、それを実在化させる。
間違いがそこにい続ける。
私がそこですることは何もない。
私は安堵の中で、彼の言葉を聞き続けた。
最近、目の前で起こっていることはすべて結果だとじわじわ感じる。
私が思ったことの結果。
兄弟が間違ったことを言う。
それもきっと私の思いの結果。
心の中に罪悪感があれば、そのことを嘆くだろう。
私は彼に対してそんな人間だと思っているから、それがあらわれたのだ。。
これを投影というならば、「私」が間違ったことを言う人間だと思っているから。。。
今度は自分を責め始める。
投影という言葉は、瞬時に罪悪感を引き起こしてくる。
その投影の呪縛に長いこと絡め取られていた。
自我はあらゆることを駆使して、自分を攻撃するための道具とする。
投影もその一つ。
私が間違ったことをしているのか。
それとも彼が間違ったことをしているのか。
ここに分離がある。
罪悪感はどちらかに罪があると言う。
私か彼か。
事実は、間違った考えがある。それだけなのだ。
彼も私もどちらでもない。
どこかで考えられた間違った考えの結果がそこに現れただけだ。
結果はそれが消えていくために現れた。
その現れた結果が不快だからといっていじると、またそれは現れる。
私はそれをいじらない。
ただそれを眺め、通り過ぎる。
するとそこにもともとあったものがじわ~ッと現れてくる。
間違いも何もない、平安がそこに広がった。
絵:「ホタルブクロとどくだみ」
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