夕暮れ時にちょっとした酒のつまみを作って、
一人晩酌の時間を作る。(旦那は下戸なので)
目の前には川と山。東西に流れる川に夕日が差し込む。
そのキラキラした緑たちを酒の共に眺めるひと時が私は好きだ。
なんでこんなにその時間が好きなんだろう?と考えるに、
ある過去が思い出された。
父はお酒が好きだった。
仕事が終わり、母の手料理をつまみながらお酒を飲む。
その時間は父の癒しの時間でもあり、
また私の防衛のための時間でもあったのだった。
中学生ぐらいからか、
父は私が晩酌の相手をすると、機嫌がいいことがわかってきた。
母はお酒の相手をすることを嫌っていた。
外でお酒を飲んで上機嫌で帰ってきても母は相手にしない。
そして父が暴れる。
それを繰り返していることに気づいていた。
父の晩酌のお供をする。
私がふざけて「あ?」と違うところを見上げると、父がそっちを見る。
その隙に父のビールを盗み飲みするのだ。
「こらあ~~っ!」と怒りながらも嬉しそうな父の顔。
そんなやりとりが私にとって嬉しかった。
彼の機嫌をとれば、彼は暴れない。
そういう信念が私の中に入った。
小さい時は、父はなぜ暴れるのかわからなかったが、
大きくなるにつれ、私は彼の寂しさを見つけた。
晩酌の時間は、私にとって彼がいつ怒りが爆発するかわからない緊張の時間であったが、
笑いで彼を喜ばせれば、彼は幸せだし、私たちも幸せ。
それは次第に癒しの時間になっていった。
そんな記憶が私の中に住み着いているのだろう。
もう一つ理由があった。
実は私は料理を作るのが苦手。
なぜなら母にスパルタに料理を教えられてきたからだ。
作った煮物を不味いといって、
目の前でシンクに全部流され、もう一度作り直せと。
背中で見て覚えろといって手取り足取りは教えてくれなかった。
母の料理はうまい。
でも私の料理は不味い。
そんな信念も住み着いていた。
そして夜ごはんを作るとき、私は緊張する。
もしも不味いものを作ったら、
私はこの世界に生きていてはいけないという強迫観念があった。
だから夜ごはんを作る前に飲む一杯のお酒は、
その緊張感マックスをほぐしてくれる役割をしているのだ。
でももうこんな思いを抱えて、
麦汁(ビールのこと)プッシュ~!をやるのはもうこりごりだ。
父からの防衛のための晩酌。
母のプレッシャーから逃れるための晩酌。
その信念を聖霊に渡して、訂正をお願いする。
そして真っ白な喜びの中でお酒を飲み、
夕暮れに光る川や緑を、神とともに謳歌するのだ。
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