大雪ふってから、畑にはしばらく顔出してなかった(飲み屋か)。
畑に向かう北の斜面がいつも吹きだまりになってて残り雪もすごいので、シャベルをもって出かける。
「どこいくんでい」
「畑」
「雪残ってるんかあ?」
「わからん」
道すがら、隣の町会長さんや、宅急便のお兄さんから声をかけられる。
おばさんがショベルをもって、道を歩いてるのが不思議なんか。
それにしても、シャベルなんか、ショベルなんか、よおわからん。スコップとも言うらしい。
名前ってのはほんとに面倒くさい。
まあいいや。
んで、畑に行くと、思ったほど雪は残っていなかった。
ウチの農法は、この時期何もすることがない(と、勝ってに思っているだけだが)。普通は石灰をまいたり、耕したり、春の種蒔きのためにあらかじめ肥料を仕込んで準備をするらしい。
そういう作業は全部すっとばかすのが、やまんば流。
これからろーじん大国突入。何事も楽にできる方法を探すに限る。
やまんば流は、種蒔きする時にちょこっとホックリ返して、種ぱらぱら、ハイおしまい。追肥などもしない、成長途中で手をかけたりもしない。あとは種さんが勝手に気のむくまま芽を出し、気のむくまま大きくなったりならなかったり(笑)してくれる「種さんの気分次第」な農法なのであーる。
もっともやまんばは、最初はそれなりに計画性をもって望んでいたのであった。しかし、長年この畑と関わるうちに、計画性とは、とても人間的なものなのだなとおもいはじめる。
というのも、人の計画無視して野生動物は季節構わずやって来て畑を襲撃していくわ、季節は毎年同じようにやさしくやって来ないわ、植物は毎年同じように生えて来ないわで、とてもじゃないが人間様の計画通りには事は進んでくれぬと言うことをいろいろ痛感したのであった。
そもそも、毎年同じように事が進んでくれる上での計画ではないか。それこそ人間の机上の計画。。。。
こうあるべきをいつも裏切ってくれるのが人生。こうじゃないとこまる~~!というのを、スコーンと裏切ってくれるのが畑だった。
だったらこっちも無計画だ!と、気のむくまま動くことに方針を変えた。
人生の方も、もう無計画だ!と、気のむくまま動くことに方針を変えた。
菊芋を掘り起こしてると、枯れ草の中から去年仕込んでおいたオブジェがみえた。
ゴボウをラクチンに掘り起こせるナイスなシステム。
米10キロ用のビニール袋の上下に穴を開け、4本の支柱でそれを立たせ、その中に土を入れる。土が入った筒状のオブジェのてっぺんにゴボウの種を仕込み、ゴボウの根が出来た暁には、そのビニールをタテにシャーーーッと裂いて、土の下に埋もれたゴボウを根こそぎゲットするという画期的なシステムだった。
しかし種を間違えて、去年はうんともすんとも芽が出なかったのだ。それでそのオブジェはそのまんま放置されたまんまだった。
やまんばは、ビニール袋のてっぺんに生えた草をとりのぞき、去年そこらに勝手に生えて来たゴボウの種を新たに仕込んだ。
今ゴボウの種蒔きする時期ではないが、蒔いてはいけない法律はない。自然界は勝手に好きな時に芽を出す。その力にまかせた。
ゴボウさんも気がむきゃ、育ってくれるだろう。
作業のあと、畑で大の字になって寝る。
もちろん長靴はぬいでアーシング。
青い空が春がくるのを告げていた。
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