2018年1月27日土曜日

勝手に浮かぶもの


人生は、自分の思うようにいかない。
ホントに。

こうあってほしいのに、そうならないことがおお過ぎる。
てか、それしかないんちゃうか?ってなぐらい、裏切ってくれる。

それで疲れていると、そもそもの、なんでこうあってほしいのかな?っておもう。
それ、考えたことでしょ?

考えって、自分で考えた?
自分で考えたっておもってるから、そうなってほしがっている。

しかしほんとに「自分」で考えたんなら、その考えをコントロールできるはずだ。自分で考え出したんだもの。

だけどじーっとその考えの様子を見ていると、どうも「自分」で「考え出した」んじゃないな。。。。と、気がつきはじめる。

勝手に浮かんでいる。。。
が、正解なような気がしてくる。

だって、考えを消そう!としても、ものの5秒ももたないんだもん。

わしらは、「勝手に浮かんでくる考え(言葉)」に、ふりまわされている。




目の前を飛んでいく鳥をみる。
ただ鳥が飛んだだけだ。気にもしない。
だけどカラスが飛んだら、どっかがざわつく。
目の前を天狗が飛んだら、ざわつくどころじゃない。おおさわぎだ。

これがわしらが頭の中でやっていることかもしれない。

布団の中で、
「ちゅうちゅうたこかいな」
って浮かんでも、気にしない。(別な意味で気にするかw)

けど、「このままでいいのか?」
ってことばがうかぶと、いきなりがばっとおきあがり、
「そうだ!そうだ!このままじゃいけない!」
と、あせりだす。

単なる言葉だ。
単なる音だ。

だけど、ものすごく反応する。
これ、コントロールしてる?
どっちかっちゅーと、コントロールされてね?

ちゅうちゅうたこかいなって、音も、
このままでいいのか?って音も、
どこからともなくやって来る。

どこからともなくやってくる音に、ふりまわされてんのは、あんただよ(笑)。

まいどまいどやってくる同じフレーズの言葉を間に受けて苦しんでいるだけなのかもしれない。

一度、頭に浮かぶものを疑ってみるてはある。

そして疑っていくうちに、鳥も天狗も、目の前を通り過ぎるだけになってくる。


心に浮かぶものも、外にあるものになってくる。
それにともなう感情も、外を流れる雲になってくる。









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