2014年2月12日水曜日

どの未来を選ぶ?




ところが、Aさんは、だらしないだけではなく、明るく快活で、まわりの人を喜ばせたり、笑わせたりする人だったりする。だらしないと言いながらも、毎日出勤する人だったりする。料理はインスタントラーメンを作るのがうまかったりする。数あるコンビニ弁当で、どれが一番うまいか知っていたりする。すんげー強いゲーマーだったりする。
他にいっぱい魅力がある人なのだ。

Aさん=「100%だらしないことで出来上がっている人」ではないのだ。

そっちにはなぜかフォーカスされない。
そう、世の中は『問題発見』に忙しいからだ。

おじいちゃんも、おばあちゃんも、おかーさんも、おとーさんも、しゃっちょさんも、せんむさんも、まあくんも、たあくんも、みい~んな、問題発見に忙しーからだ。
問題を発見して、「あっ、これが悪いのだ!」
と、それを取り除くことに忙しーからだ。

さて、その消去方法がホントにうまいこと利用できてるんなら、世の中、こんなにうつの人がいっぱいいるだろうか。
会社で問題発見をしているあいだに、問題が膨らんで、もっとうつの人が生産されてるんじゃないだろうか。

問題はいつも厄介扱いされる。
がんの治療と似ている。
「こいつさえいなくなったら、問題は解決される」と。
だけどまた現れちゃうじゃないか。なんでや?

会社ではじかれる。
こいつさえいなくなったら、会社は建て直すんじゃないかと。
はじかれた人は思う。
わたしのだらしないところさえなくなれば。。。。と。

みい~んな、『問題点』を「取り除こう」としている。
 
事実は、問題意識が、問題を作り続け、大きくしているのだ。

それはまさに、「観察されるものは観察するものの影響を受ける」法則と同じなのだ。
それを見詰めつづければ、それはずっと製造され続け、もっと強化される。
だから問題はいつまでたっても消えないし、消そうとすればするほど大きくなる。

問題だ問題だといいつづけて、取り除こうとうんうんと努力して、結果変わったのは、ちびっと前に進むぐらいじゃなかったか?少なくともやまんばはそーだった。

これが宇宙の法則ならば、それを使って別のことをしてみたらどうだろうか。


Aさんは、快活だ。ここを利用する。

ばかばかしい?

もしAさんが「私は快活な人間だ」とおもいつづけているとどーなる?
仮説は物質化し、立証される。
「ああ、あたしって、あっかる~い!」
と呪文を言い続けていると、明るいことが起こる。明るい人が目の前に現れる。ますます明るくなる。

これ、「わたしはだらしない人間だ」と言い続けて、そうなるのとまったく同じではないか。
そうなのだ。これが宇宙の法則。引き寄せの法則。

一般的な引き寄せの法則は「私はお金持ちだ!」と言いつづけると、そうなるといわれている。だけどそうは簡単にならない。

なぜなら、どっかでウソをついている自分を知っているからだ。だって、お金持ちになりたい人はその前提に「わたしはビンボーだ」って信じているから。信じているものは強化される。「お金持ちになりたい」「お金持ち!」と、単に言葉で言いつづければ、言い続けるほど、ビンボーなことを意識させつづけるのだから。
自分の心は正直だ。心の中にウソはつけない。

だけど、快活なのはウソではない。現に快活なんだもん。

厳密に言えば、Aさんがだらしないのは、彼女の人生の数%にもならない部分なのだ。残りの90%はいい人だったり、思いやりのある人だったりする。

私たちはいけないことばかりにフォーカスしてきた。だけどそれをとりのぞこうとすればするほど大きくなるのだ。(ホントは心の中だけの事実なんだが。)

そのフォーカスの上に未来は作られる。
私はだらしない人間だという土台の上に作られる未来は、だらしない未来だ。
しかし、私は快活な人間だという土台に作られる未来は、快活な未来なのだ。



やまんばは、ずっと、悪いところばかりを見つけてきた。そこを直したら、いい人になれるし、いい人生が送れると信じて。
だが現実は、いつまでたっても問題探しばかりしていた。そしていつもビクビクして生きて来た。

だけどそれをやっている意味がなかったことに気がついた。
もう問題は見つけない。
見つけても決して幸せにはならない。
これをやりつづけても、自分への不平や不満は膨らむばかりだという事実を知った。


まったく気がつかなかったけど、やまんばにはいっぱい達成感があった。
それは押し入れに入っている山のような作品群だ。そのひとつひとつに、明らかに出来上がった瞬間の達成感があったのだ。

それを木っ端みじんに忘れていたのだ。何一つ思い出せなかった。
そのことにある種、ショックを受けた。なんで気がつかなかったんだろうって。

そしてその作品を受け取った、クライアントさんたちのよろこびもまた受け取っていたのだ。作品群の一つ一つに、私だけけじゃなく、受け取った側のよろこびもダブルでもらっていたのだという事実。。。


何を見ていたんだろう。何にばっかりフォーカスしていたんだろうって。。。

すぐ隣に宝物の山が、エネルギーの山がそびえ立っていたのに、私はいけないこと、まちがったことばかりにフォーカスしていたのだ。

それのどっちを使う?
宝の山でしょ!

その宝の山の土台に乗っかって、未来を見たら、どんだけ遠くまで見渡せる???



これを読んでくれているみんなも、みんなそれぞれすごい宝の山をもっている。
人の意見なんか関係なく、個人的な「おれってえらい!」っていうようなすっごい達成感や、ワクワクしたこと、他人が味わえないほどの歓びを感じたことなど、やまんばが想像もできないような宝の山をもっているでしょ!

その上に乗っかって、未来を見ようよ。
その達成感のエネルギーを泉のように次々に沸き起こしながら今を生きてみようよ。

今ここに、ものすごいパワーポイントがある。
それはその自分の成し遂げてきた物の上に乗っかってその感覚を味わって未来に向かうことじゃないかな。

それは絶対傲慢なんかじゃない!
それこそが、この世に生まれてきたことの醍醐味と、宇宙の大いなるものへの、感謝のしるしじゃないかな、と、やまんばはおもう。


長くなりました。


2 件のコメント:

まいうぅぱぱ さんのコメント...

趣旨、外してますが、ある人の良いとこだけじゃなく、ちょっと悪いとこまで、いいとこに見えるのが好きという気持ち。
少し良いとこまで、悪く見えちゃうのが、嫌いという気持ち。と思います。

良いとこ探ししましょう!

つくし さんのコメント...

なあるほど〜。

他人のいいとこも悪いとこも、見る人のおメガネにかかっているのかもね。