2014年2月14日金曜日

インスピレーションは未来の自分が与えている



ふっと心に浮かんだことを「あとから書こう」と思っても、いざあとから書こうとすると、じぇんじぇん書けないもんだ。
ふんとに、「今」しかないんだねえ。
いつ書くの?今でしょ!

とゆーわけで(どーゆーわけだ?)、また雪が降ってます。
南国育ちのやまんばにはひえ~なのだけど、雪国の人にはちょろいもんなんだろうなあ、こんな雪。



ある本に、インスピレーションは未来の自分が与えている、というのを見つけた。
それで「あ?」と思ったのは、コメットハンターの木内鶴彦さんが、小さい時、危機一髪だった瞬間に聞いた「危ないっ!」とさけぶ誰かの声が、未来の自分が幼い自分に送った声だったって書いてあったのを思い出した。

それはスペシャルな人だけに起こる現象ではなくて、フツーの人もじつはひんぱんに起こっている現象なんじゃないかとおもうのは、やまんばも思い当たるフシがあるからだ。

阿佐ヶ谷の仕事場で、忙しさと日本に対するいらだちでもんもんとしていた時に突然頭に聞こえた言葉、「ニューヨークへ行け」。
あれは未来の自分が言った言葉じゃないか?

ニューヨークでくるしい営業の中、ふと目の前を自分が歩いているのを見つけた。
歩いていくうちにどんどんその存在に近づいていって、それとひとつになったとき、
「ああ。私はここにもうひとりの私を置いてきていたんだ。。」
と、はっきりと感じたんだ。
それははじめてニューヨークに一人旅をした私だった。その私の一部を置いてきていたのだった。

理由は何かって?そんなの理屈なんかしらない。カッパのクウじゃないけど、
「わかるからわかるんだ!」なんだな。。。

日本に対するいらだちは、NY生活のおかげで完全に消えてしまった。むしろ日本の素晴らしさを心底教えられた。

他にもある。
小さい時感じたこと。「この世はほんとうに物質として存在するのか」
これは母親からもらった考えでも、父親からもらったものでも、絵本に書いてあったことでもない。突然3歳児の頭の中にやってきた。
それからというもの、ずーーーーーーーーーーーーーーーーっと、そのことが頭から離れない。私の人生はそれをずっと追いかけているようなもんだ。
これもひょっとしたら、未来の私が幼い私にインプットしたことなのかもしれない。


その本は、この今の瞬間に多次元の自分がいる、そしてあらゆる蓋然性の中にあるという。
ひょっとしたら、この世はとんでもなく複雑で、想像を絶する世界の中にわたしたちはいるのかもしれない。

この世に生まれてきた時、ただこの物質世界だけを見てなさいよ~と教えられて、
「は~い、ママ。じゃあ、その世界だけをとりあえず見てま~す」
と、ほんのちっこい、物質があるとされるところだけをみているのかもしれない。

そう考えると、なんだかこの今見えている世界が、おもしろおかしくみえてくる。


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