「自分は罪深いから、罰を与えなければならない」
って考え、けっこうあるよーな気がするんだな。
だって、ちっちゃい時から、お仕置きされたし、教室で騒いだらバケツもって廊下に立たされているクラスメート見てたし。
こーゆーことは、完全にインプットされるんだな。
だから大人になっても、いけないことをすると、罰を受けるとおもっている。
それは法律上のことだけじゃない、自分が誰かに「やってしまった」ことでも、自分が自分に「やってしまった」ことでも、逆に何もしなかったことでも、なんでもいいのだ。
ああ、おれはいけないことをした(もしくはなにもしなかった)。だからなんとかして自分に罰を与えないと、いい人間にはなれないんだ。。と。
だけど、またやっちゃうんだな。なんでだろうね。まるで罰を与えるためにやっているよーな。。ヘンタイ的なのよね、人間って。
道に落ちている石コロをみつけて、
「あ~~~っ、あんなところに石があるぞ!あれに足が引っかかったら大変だ。気をつけろ、気をつけろ。もし足が引っかかったら、つんのめって、顔からドッカンとこけるぞ。そんときゃ鼻ぢがどっばあ〜んと出ちゃって、そりゃーもー、最悪なわけさあ~」
って、言ってるうちに、わざわざ石に当たってぶっころぶよーなもんだ。
ほんでもって、鼻血出した自分に、
「ああ、なんておれは注意の足りない、いけない人間なのだ」
といって、次、何の罰を与えるのか探していたりする。
笑える?
でも人のこと言えないんだぞ。
み~んなやってんだから。
だいたい、いけないいけないとおもえばおもうほど、そっちに引っ張られちまうんだな。
「ああっ、石が。石が。石が。。。」
っていってるうちに、石が巨大になってきて、もう道には巨大な石しか見えなくなって、石にぶつかるしかなくなるんだな。
いいことって、なんか引っ張られないよね。
「ああっ、あそこにケーキがある!」
と、道に落ちているケーキを見つける。
「わあ、ケーキだケーキだ!」
って、よろこんでいるのもつかのま、
「ちょとまてよ、なんで道にケーキがあるんだ?なんでそんなに都合よくケーキが落ちてるんだ?そもそも地面にケーキがあったら汚いではないか。あっ!ひょっとしたら、これは毒入りケーキかもしれないぞ。おれみたいなアホが食っちゃうことを目論んで、アホをこの世から撲滅するために仕組まれたワナかもしれないぞ。これは新種のオレオレ詐欺ならぬ、ケーキケーキ詐欺かもしれないぞ!」
とまあ、ホントにアホなことを考えてしまうかもしれないわけさ(そんなことを考えるのはお前ぐらいだ)。
いいことってみつけても、一瞬うきっとするが、
すぐに、
「はあ~?世の中、そんなにうまくいかないよ」
と、物知り顔になって、シラケたり、ジョーシキで測ったり、いや~な考え方に気持ちが引っ張られるのがオチじゃねえか。
え?なんのはなしだったっけ?
そーだ、そーだ。
人は自分に罰を与えたがる話だった。
悪いことに引っ張られ、悪いことをして、自ら罰を与える。
そんな話、そこらにゴロゴロしている気がするなあ。
あなたは自分にしらないあいだに罰を与えてないかい?
その罰は、ほんとうに価値のある罰の与え方かい?
それをずっと続けることに意義はあるのかい?
それは自分を苦しめているだけじゃないかい?
あなたは自分にしらないあいだに罰を与えてないかい?
その罰は、ほんとうに価値のある罰の与え方かい?
それをずっと続けることに意義はあるのかい?
それは自分を苦しめているだけじゃないかい?
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