私「聖霊って、なんだろう?」
ダンナ「わからん。」
私「わからんよね~~~」
でも確かにいる。
だんだんそれが確信になっていく。
香港さんの兄貴みたいに、人の形が見えるわけじゃない。
私には何にも見えない。
かと言って、もわ~ッとした煙でもなさそう。
あえていうなら、私にとっての聖霊は、考え。
考えって言った方がしっくりくる。
ちっちゃい時、いつも誰かが近くにいてくれた。
墓場で一人で遊んでいた時、
形は見えないけど、何かの存在を感じていた。
そのことを思い出させてくれる。
60過ぎのおばさんが、なに小学生みたいなこと言ってるんだろう(笑)。
でも心はだんだん小学生に戻っていく。いや、幼稚園児かな?
「聖霊さん、聖霊さん、ねえねえ、あなたならどう見るの?
ねえねえ、あなたならどうこれを考えるの?おせーて」
ほとんどお前は幼稚園児か!ってぐらい、聴きまくる。
しかし。
母親と違って、何の反応も来ない(笑)。
だけど必要な時、何かの考えが浮かぶ。
今まで思っても見なかった方向の考えが。
その時はっきり分かるのだ。
この考えは「自分が」思い浮かべた考えではないことを。
過去から引っ張り出してきた、聞いたことのあるアイディアではないことを。
それは次元の違う考え。
この水平線からは見えない視点。
上から見ないと見えない視点。
それは不意にやってくる。
そっと。ささやくかのように。
そんな風に、何かが守ってくれているから、安心して過ごせる。
例えば、どこかが痛くなっても、聖霊と一緒にそれを見る。
その痛みを聖霊と一緒に赦す。
恐れが出てきても、それを聖霊と一緒に見る。
その恐れを一緒に赦す。
自分が今何を感じているのか、考えているのかを正直に聖霊に話し、
(もちろんスゲーえぐい感情もみんな吐露するのさー)
それを一緒に見て欲しいと願い、
そして一緒に赦す。
たったこれだけのことなのに、心が次第に癒されていく。
絵:「秋の音」
0 件のコメント:
コメントを投稿