2022年6月5日日曜日

自我はささやく



不思議なことに、自分をいじめようとする気持ちが減っていくほどに、

ことがすんなり流れるようになってくる。


不意に頭に浮かぶ、

「やばい!あれ無くしたかも!」

と自分を焦らすような思いがやってきても、

それに同調して乗って焦るのをやめる。



以前は焦りの中でパニクっていた。

でもそれは自分を「できないやつ、罪深いやつ」

に仕立て上げようとする自我の魂胆だとわかってきたので、

その誘惑に乗らないようにする(笑)。


静かになって周りを見回すと、

まずは今やったほうがいいなと思うことをやって、

心配は後回しにしておこう。。。

とやっていると、その無くしたかもと思っていた探し物が、

探しもしないうちにすんなり見つかる。



歩いていて、あ、そういえばあの人のところに寄ってみよう。

そう思って寄ると、ちょうどその人はいて、ことが進んだり。


仕事がめちゃくちゃ忙しいのに、さらに単発でどんどん入ってきて、

おまけに身内の入院やら町内会の用事やら、

頭で考えるとパニックになりそうなことも、淡々と進む。




こういう一連の行為は、

実は「自分でやっていない」という不思議な感覚になってくる。


頭だけが「自分がやらなきゃ!」

「自分でなんとかしなきゃ!」

と言っている。


これは「私知ってる。この世の中のことは私が知っているから、私がなんとかする!」

という自我の声そのものだ。

自我が前にしゃしゃり出て、全部自分でやる!と言い張っているのだった。


でもその結果、混乱と破壊を続ける惨めな気持ちに私をさせてきた。


その根底にあるのは、自分は罪があるから、

その罪のために苦しまなきゃいけないという巌のような信念があったからだ。



その仕組みに気がつき始めた今、

自分で自分の首を絞めるバカらしいこととは手を引く。


自我のささやきには乗らなくなってきた。


自我に促されて、自分で操作していると思っていた車のハンドルは、

ただの黄色いハンドルのおもちゃで

車とはくっついてもいなかった。

私はそれにただ乗っているだけでよかったのだ。




先日夢を見た。


美しい女性が売られていく。

彼女は小さな時から人に買われ、大きくなっても同じ仕事の中で生きている。

でもその彼女は、自分でそれを選択しないという選択肢があったことを知らなかった。

彼女はずっと女郎という牢獄の中で生きていると信じ込んでいたが、

本当は、牢獄の扉は開いていた。


そうなんだ。牢獄の扉は開いていた。

彼女は自由だったんだ、最初っから。


それはただ自分の選択だけだったんだ!と。



目を覚ました私の心は解放されていった。




絵/MF新書表紙イラスト



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