2022年6月19日日曜日

これがあるだけ

 


心の平安と、心の中の物語が消えていることとは関連があるようだ。


非二元の人たちが「これがあるだけ」というのは、

そこに物語がないことを話しているのではないか。


今、目の前に見えるその風景があるだけで、

その形の中から引き起こされる様々な物語、


例えば「これはどくだみでつまんだら臭い」

などという、

モノから導き出され、

つらつらと流れ出てくる解釈がなくなっている。


または、その目の前のことはどっかに行っちゃって、

「あいつはいかがなものか。。。」

という、今ここにいない人のことをつらつら考える。。。

ということがない。


それはどくだみだという名前さえも気にしていない。

「これはどくだみ」という解釈がなく、

ただそのものに感動し、喜びを味わっている。。。


その時そこにまったく物語が展開していない。

頭の中に言葉がいない。





そのまったく心に思考されるものがない体験をしたのち、

以前のように普通に思考が戻ってくると、

そこに平安がないことに気づく。


この世界の住人に戻っているのだ。


この世界は重要で、居場所を確保し、

またはその居場所を誰かに取られないように、

サバイバルしてなければいけない住人に。


どくだみを鑑賞して喜んでいる暇はないのだ(笑)




思考には2種類ある。


この世界の住人として、どうにか生き残る作戦を練る思考。


もう一つは、そもそもそれを本当に信じ続けてていいのか?

この考えを持ち続けている必要があるのか?

と、疑っていく思考。



前者は心の平安をかき乱す。


後者は心の平安へとみちびきだす。




絵:ホタルブクロとどくだみ



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