本当の思いをいうのは勇気がいる。
これをいったら空気が凍るだろうな。
そう思いながら空気読んで生きてきた(つもりw)。
言わずにいれば暖かい空気のまま。
だけどその暖かさは本当の暖かさじゃない。その場しのぎの形だけのもの。
心の思惑を抱えながら過ごすのは辛くなってきた。
言わなければ凪。言えば波風。
そして空気を読まない瞬間が訪れる。
何の反応もないまま、時間が経つ。
ああ、言ってしまった。言わなきゃよかった。
懐かしい感覚が蘇ってきた。
ひとりぼっち。
置き去りにされる。無視。陰口。
人が悪人に見えてくる。
小さい頃味わったいじめられていた時の感覚。
惨めで、悲しく、寂しく、どうしようもない運命に絡め取られ、身動きできない。
みんなと同じようにできない無能な自分を殺したいと思い、
同時に、私を無能扱いする(ように見える)他者をも殺したいと思う。
この感じ。
そうだ。この感覚をもう終わりにしよう。
この惨めにされる感じを終わらせたい。
私は梅林から見える高尾山の尾根を眺めながら、
それを神の祭壇と見立て、
そのなだらかな尾根に向かって心で告白する。
自分がどんなふうに惨めな思いを持っているのか、
どんなふうに怒りを持っているのか。
何のかくし立てもせず、正直に話す。
「〇〇ちゃん、ぶっ殺す!」
「〇〇ちゃん、死ね!」
と、昔私をいじめていた兄弟たちの名前を挙げていった。
一瞬マジで殺気立った瞬間があった。
そしたら、あるところから、
「あれ?私、〇〇ちゃんにそんなふうな怒りを持ってないよなあ~」
と思い始め、
一番きらいだと思っていた人の名前を言う頃には、
何の怒りも感じていなかった。
そうか。これは誰でもないんだ。
個人名などないのだ。
誰が嫌いとか、誰を憎しむとかいうものではなかったのだ。
私の中にある恨みつらみが、その人をきっかけにして出てきただけなのだ。
心の中に感じるモヤモヤするものを「これは一体なんだろう?」と正直に見て、
その見たくないような思いを、正直に聖霊に告白すればするほど、
自分の中の罪悪感が減っていく。
「私にあなたの闇を渡しなさい」
そう聖霊は私に呼びかける。
それをすることで一体何が起こっているのかは私にはわからない。
だけどそれによって、心が変化していくのを経験する。
私たちのおよび知らないところで、何かが動いているのだ。
そしてまた、同じようにいじめを受けて傷ついてきた兄弟たちにも、
私がその心の闇を捧げることで、
誰かに光を与えているのだという。
なぜなら心はひとつだから。
高尾山の稜線という巨大な神の祭壇に捧げられた私の闇は、
心の安らぎとともに消えていった。
絵:「江戸の名門」
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