2015年1月27日火曜日

心は野放し



きのう、夕方ダイエーに買い物に行こうと思った。
すると心が「夕方は駐車場が混むから危ない。あんたはパーキング下手なんだから、やめときなさい」という。

やまんばは運転が下手だ。昔はあのニューヨークでぶっ飛ばしてたが、ここ日本に帰ってきてから、あまりの道の狭さと駐車場の狭さに圧倒されて、だんだん運転が遠のいていった。だから急いでダイエーに行くこともないので、その言葉に従ってあしたの駐車場の混んでない時間帯にいけばいいやとおもった。

が。なんか釈然としない。
あれ?これ、エゴの言葉?

エゴはわたしにいつも不安をくれる。
これをするとこんな怖いことがあるって。やまんばはいつもその言葉を聞き入れる。
「うん。たしかにそーだ。ではそうしよう」
そしてまた、次の日にこういうのだ。
「今日はこんな怖いことがあるからやめなさい」と。

エゴはずる賢い。言葉たくみにわたしを翻弄する。しかしそのエゴの言葉に従うと、いつも誰かを責めたり、世界はみにくい世界だと思ったり、怖い世界だと思わせ、閉じこもってしまい、狭い縮こまった世界にとどまり続けることになる。その結果イライラして、ある日突然キレる。

やまんばはきのうエゴの声に従わなかった。
夕方出かけたダイエーの駐車場は混んでいなかった。



私たちはからだは鍛える。いい食事をとることを心がけ、ランニングしたり、ジムに通ったり、ダイエットしたりしてからだをととのえる。
しかし心は野放しだ。

人は外から来る言葉は疑うことをするが、自分の心の中に浮かぶ言葉は、あんがいすんなりと聞き入れる。じつは心の中は、よーく聞いていると、矛盾だらけで混乱している。しかしそのことに気がつかない。だからそのまま振り回されてこんがらがっているのだ。

今の時代、心がこんがらがって、ふりまわされて、心の中が大暴れしている人で満ちあふれている。それ、エゴさんの言うことを素直に聞くマジメな人たちだからだ。

これからは心を鍛える時代だ。
元々からだの問題も心から来ている。心がこんがらがっているから、からだも自然の流れが妨げられてバランスが狂うだけなのだ。

エゴは怖がらせることによって、自分の存在をアピールする。その言葉に付き従うと、ますますエゴは喜ぶ。
「ええ、ええ、わたしがいなけりゃ、あんたはとんでもない人生になるのよ。だからわたしのいうことはちゃんと聞きなさい。わかったあ?」と。

エゴは、ありきたりのことしか言わない。その言葉に創造性やオリジナルはない。一般常識とどこかで聞いたことのあるつまらないアイディアしかない。言葉巧みだが、よーくきいていると、わたしを怖がらせることしかしていない。これらの声は、わたしを明るい方向に導かない。

やまんばはその声をじっと聞いて、従わない。


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