友人が人の悪口を話している。
私はそこにいちゃもんをつけたくなる。
それはあなたの投影ではないのか?と。
するともう一人の私がいう。
それをいうなら、その友人の悪口を聞いていることも、私の投影じゃないのか?と(笑)
投影が投影されて、もうどっちがどっち?って話になる。
投影ってそういうトリックがある。
そうして私は何も言えず、
ただ目の前の友人を心で赦した。
それから数日経った今、またそのことを思い出す。
その出来事をマジマジと思い返し、もう一度じっくり考える。
彼女が話す内容は辛いものだったけれど、
彼女はその一連のことを愉快そうに話す。
でもその奥に深い悲しみと怒りがあった。
そしてそれは愛を求める叫びだったのだ。
それを見たとき、私の心に慈悲の思いが湧いた。
そしてその奥に本当の神聖な彼女を見た。
この頃思う。
目の前で展開していることは、本当のことじゃない。
その奥にある兄弟の正直な心を見るためのものだ。
その二人の間で終わらしていく何かがあるのだ。
そのための出来事。
どんなひどい攻撃を受けたとしても、
それを発した人の心には、かならず愛を求める叫びがある。
愛してくれと懇願している。
兄弟は、愛を与えるか、
愛を求めているか、のどちらかだ。
どちらも「愛」なのだ。
その愛を求める叫びは私なのかもしれない。
それが兄弟であろうと、私であろうと同じ。
ひとつなのだから。
それを見つけるなら、愛を求めて叫んでいるその悲しむ心を思いやる。
それだけでいいのだ。
そのとき、私の心が癒される。
そしてきっと兄弟も同じように癒される。
私の心を癒すために、兄弟がいてくれる。
絵:ミステリー表紙イラスト
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