この頃思うんだ。
お葬式って、とても悲しいことだけど、
一方で、愛を思い出す式典なんじゃないかって。
亡くなった人に対して、
あのときもっと優しくしておけばよかった。
もっとありがとうって言っておけばよかった。
もっとはっきりと愛しているよと言っておけばよかった。
そうして自分がそうできなかったことに悔いたり、嘆いたり、
そして自分に怒ったりしているんじゃないだろうか。
後悔で胸が張り裂けそうになる。
そんな思いを抱えている。
でもその思い、それ自身が、
その亡くなった人をどれほど愛しているかを表す証拠なんじゃないだろうか。
その愛の思いがあるからこそ、悔いて、自分を責めて怒るのではないか。
それは私たち自身がとても愛のある存在だということを思い出させてくれる。
そして楽しかったことを思い出し、
亡くなった人がどれだけ自分を愛してくれていたかも思い出す。
兄弟になんの愛も感じてなかったら、泣きも苦しみもしない。
後悔は愛のしるし。
でも後悔はしてもしてもそれが収まるところがない。
あのときもっとああやっていたら、、も、
それが納得できるというところまではいかない。
どれだけやっても悔いが残るのだ。
でもそれが愛のしるし。
そして亡くなった人は、その思いを、
そのまんま受け取ってくれている。
「愛しているよ」
と、その人の横で囁いてくれている。
姿は見えないけれども、その人はちゃんとそこにいる。
愛を持って、そしてその兄弟の愛を、
これ以上わかりようがないくらいはっきりと感じて、そこにいる。
もしそれが霊視できたら、なんと美しい光景なのだろう。
お葬式は、愛を思い出す式典だ。
互いが思いやる、純粋に愛を感じあう、そんな大切な時間なのだ。
絵:「天狗舞」
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