2018年10月16日火曜日

痛み


スナップエンドウやソラマメなどを蒔くために、何日かジャングルになった畑の草刈りをしていたら、また左肩が強烈に痛くなった。やっぱり動かしちゃあいかんのやな。

夜中に何度も痛さで目が覚める。
民間療法の玉ねぎショウガはちみつのお湯割りも効かない。

こうなったら、イメージで行く。
「神の使者」で有名なゲイリーの新しい本「愛は誰も忘れていない」の中に書いてあった彼のからだの痛みの取り方をマネしてみる。


まず左肩に意識を向ける。その左肩の中から光が現れるのをイメージする。
ひ、光が、現れるのを、、、、
ん?現れない。。。

気を取り直して次!
からだの中に光が満たされるのをイメージする。。。
ひ、光が、、、現れるのを、、、、、イメージ、、、、、
できんやないけ!

あたまのイメージでは、からだの中に光が現れて、その光が自分の身体をおおう、、、
はずであった。

撃沈。。。



これでも私、表現者やで。
イメージのひとつもつくり出せんで、どこが表現者やねん!
と、ひとりツッコミを入れる。

んが。
ふんむむむ~~~~~っ。。。!
と、イメージできない苦しさにもがいているうち、そのたびに痛みが消えているのに気がついた。

光は見えないが、そこに意識を向けている間、痛みが消えているのだ。
ま、、、、こんなんで、、、、ええんかいな、、?
と、どっか納得いかないまま、寝てしまう。



明け方、うつらうつらとする中で、あるイメージを見る。
光のカタマリのまわりにこびりついた黒い破片たち。

それは私のからだの部分だった。そのからだの部分たちが、光の中で溶けていく。
その映像を見ながら、
「ああ、、、私の不満やネガティブな意識が、この世界に闇を作っていたんだ。それがカタチになってこの世界を作っているんだ。。。。」
そう教えられた気がした。


起きる前に見るビジョンは真理をついていると私は思っている。
それは自我がああだこうだと、屁理屈を言いはじめる前のものだからだ。


痛みは、私に肉体を意識させる。
「私は肉体だ」と言って聞かせるにはもってこいの症状だ。

と、同時に、痛みがなぜ発生するのかも教えてくれる。
私の中にある、あらゆる不満や罪悪感がそれを生み出してくる。それは攻撃を自分に向けているからだ。たとえ攻撃を他人に向けようと、それは自分に還ってくる。
その痛みを自分で味わうのだ。


きのうの夜もまた、やってみたが、相変わらず光は見えない。
しかし自分の身体が消えていくのに気がついた。

中身が空っぽなだけではない。からだ全部が消えようとしていた。

と同時に痛みも消えて来た。




絵:「ルパンとショームズ」/ミステリマガジン扉イラスト


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