夜寝る前に窓を開けて、真っ暗な山を見る。
「今、どんな感じ?」
心の自分に問うてみる。
胸の奥が、ふるふるとふるえている。
「これは、なに?」
問うても誰も答えない。
ただ、不安なふるふるではない。
たとえていうなら、明日楽しいことがある前の、期待のようななにかのふるふるだ。
「私は今、いったいいくつなんだろう?」
そんな疑問がわいた。
「。。。7才。。。」
心の声にびっくりする。
「え?7才。。?」
今57才のわたしが、たった7才の自分?
50年分はどこへ消えた???
でも考えたら、意識は今でもそのぐらいなのかもしれない。あのころの私と、何ら変わっていない。
じゃあ50年間分の知識や歴史はどこへいった?
知識とは、単なる「社会」という名前がついたゲームのルールを知っているというだけだ。双六や、野球や、サッカーのルールと何ら変わりない。私の歴史とは、そのルールに必要な、ボールやコマを持って、そのルールに沿って生きて来た。そういう歴史だ。
でもまったく変わらない何かが私の中にある。
それは「私」という感覚。
その私は7才なのかもしれないし、なにでもない、なにかなのかもしれない。
暖かな布団の中にもぐりこんでイメージする。
誰でもない7才の私。
過去も未来もない、ただそこにある存在。
絵:天狗舞い
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