「最近やってることはねえ。過去を消すのよ」
「は?どうやって?」
「えーと、、、後ろに続いていると思ってる長ーーーーーい過去の記憶をぷっつんと切るの。そしたらねえ。未来も消えるの!」
「。。。。」
きのうの飲み屋での会話。
飲んでてする会話ではないわな。
いんや。。。飲んでるから出来る会話かな?
私たちは、「自分」というものを過去の記憶によって作りあげている。
私の名前、私の仕事、私の家族、私の出身地、私の友だち、私の趣味、好み、考え、クセ、習慣。。。
そういうものをどこかで携えて生きている。
出来事や名前や肩書きが固形物なら、記憶はノリ。記憶というヤマトノリで、関西ならフエキノリでくっつけて、そのカタマリを背中に背負い込んで生きている。
過去この考え方で生きて来たから、当然その考え方で、未来も進む。
と言うことは、未来はある程度予測できる。過去の延長線上に未来があるからだ。その予測できる未来が気に入らないなら、過去を捨てることだ。
過去を消す、捨てる。
一見難しいけど、過去は今ここにはない。あたまの中の記憶としてあるだけだ。
きのうああしてこうしてあれ食ってあれ飲んで~。。。
思いだそうとすればいっぱい出て来る。
たのしかったなあ~またやろう~とか。
でも目の前にあるのはパソコンと文字。いつもの部屋の中の風景。
過去は重たい。過去を思いだすと思考が動き出す。
ああしてこうしてああなって、ああ、ああすればよかった、こうしておけばよかった。。。。
楽しいことばかりじゃない。心がすこし苦しくなる。
今まではそれが当り前だった。過去を振り返って、反省し、未来に繋げる。人生とはそういうもんで、大人とはそうするもんだと思って来た。
でも過去を今に持ち込まないと、軽くなる。
今?私?誰でもない何かがここにある。
あたまの中だけが騒いでいたんだ。
あたまの中だけが、あれじゃないこれじゃないと、苦悩していただけなんだ。
ことは勝手に起こっている。今も動き続けている。
それに判断を下していたのはあたまだけだった。判断が苦しくさせていたんだ。
過去に居続けたのは、あたまだけだった。
過去がつまった背負子をおろすと、安堵が広がる。
過去がどれだけ重かったのかを知る。
目の前に風景が広がる。
軽やかな何かが存在している。
絵:「主」/紙絵
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