2014年11月20日木曜日

私自我は、あなたの問題を解決します!



朝おきると、思考も動き出す。
あーだこーだと考えをめぐらす内容が、ネガティブなことばかりなのに気がつく。

さむい。布団からでたくない。でも出なきゃいけない。エーと、部屋を暖めるには、まずストーブをつける。げ、ストーブつけるには、布団から出なきゃいけないじゃん。瞬間芸で、パッとはんてんを羽織る。んで、ストーブをつける、と。んで、部屋があったまるまで、も一回布団に入ってえ。。。。

「チュンチュン」
鳥の鳴く声が聞こえる。
ああ、いい声だなあ~。。。
寒い。これから寒い冬がくる。ああ、いやだなあ。もっと寒くなったらカラダ追いついていくんだろうか。床暖房があったらなあ~。夜はもう雨戸も閉めはじめるか。。。

鳥の声には一瞬反応する。いい声だなあと。
しかし思考はそこでストップする。そしてまた先程のネガティブな内容に入っていく。

これはなんだ?

思考君は、ポジティブな内容には感心がない。なぜか。それで終わりだから。感動は言葉がない。「ああ。。。。」で終わってしまう。それでは思考君が存在できないではないか。

だがネガティブな内容は、思考を維持することができる。なぜか。それは「問題をみつけて解決すること」という重要任務を請け負っているからだ!
だいたい思考は、思考しないと存在できない。(あたりまえだ)
ポジティブじゃ、思考できないじゃないかー!(えーーーっ!)
だから自我は必死で思考を使って、自分の居場所を確保しようとするのだ。


これはまるで選挙のポスターだ。
自我さんの顔が全面にドドーンとあり、にっこり笑ってこういうのだ。
『私くし、自我は、あなたの問題を解決します!』

すると有権者(つまりあなた)は、そのポスターを見て、
「フフーン、なるほど。なかなかたのもしいではないか。ではこいつに投票するか」
と、清き一票を投じる。

それはまさに問題を見つけてきては、
「これが問題なのです!これがいけないんです!私がこれを解決します!」
といっては、会議を重ねて大騒ぎし、根本的な解決も見つからないまま(いや、もっとこんがらがって)、そのまんま放置し、そのうち時間が解決して、
「ほーら!解決できたでしょう!私がやりました!」
と言ってる、だれかさんに似ている。

有権者自身が、だんだん政治家の存在をあやし~く感じはじめているよーに、自我が訴える「問題定義」も、そのまんま鵜呑みにしないほーがいいかもしんない。


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