2014年11月17日月曜日

アートで村おこし



展覧会を終え、次の日アーティストの友だちに誘われて、兵庫県の船坂ビエンナーレにいく。

ここは過疎化の波が襲う集落のひとつであったが、最近2年に一度、村の廃校になった学校や、空き家になった藁葺き屋根の家などを使ってアートを展開し、村おこしを行なっている。今回で3回目だという。

展示場所は、まわりの風景を額代わりにしたインスタレーションや、壊れた土壁までアートにしてしまう作品、古い井戸、古い道具小屋、棚田、などなど、日頃ギャラリーで白い壁を背景とした私の作品とはまるで違う環境で見る作品群を興味深く見せてもらった。

その次の日は奈良まで南下して、飛鳥の奥にある棚田の中にあるカカシアートも見る。

過疎化が進む村おこし、休耕田が進む村おこし。アートで村おこし。
やまんばは少し複雑になってしまった。

見学者としてアートを楽しむぶんにはいい。だけど本当に村おこしになっているんだろうか。休耕田に参加してお米を作りはじめる人もいるらしいが、これが本当に根付いていくのだろうか。村おこしのアートだって、村人がすごい大変なわりに、期待する成果は出ているんだろうか。


やまんばの地域でもしアートで村おこしをしたらどーなるんだろうか。
ああなって、こーなって。。。とそうぞうする。
最初はいいだろう。村のあちこちにアートがあって、外から人々もわんさかやって来る。村が一丸となってもてなしをする。お金もいくらか落ちる。
だけどそのうち雨風にあたってアートも汚くなって、人もそんなにこなくなる。お赤飯たいて、食事の準備して。。。人はそんなに来ない。。。村人だって疲れ果てる。なにやってんだろうって。

休耕田の棚田も物珍しさで都会から人も来るだろう。だけどそんなに毎年来れるかな?村だってその人たちのために色々準備しないといけないし。
棚田は魅力的だけど、やまんばにはできない。そもそも農法がちがいすぎる。



よろこびを外から与えてもらうためにやることは、限界があるんじゃないだろうか。
村の人々が内側に個人個人自らのよろこびがあってこそ、すべてははじまるものなんだろうなあ。

きっと「結果」や「期待」なんて考えてもいないのだ。それがおのずと「美しさ」を生んでいく。それこそが本当の芸術なんだろうなあ。

2 件のコメント:

Shinji Totsune さんのコメント...

行政からの助成金で、似た様なコトを沖縄でもやってます。「街おこし」「地域活性」は免罪符。企画するコンサルにお金が入って、住民は踊らされる。全てではありませんが、こんなパターンが殆ど。

つくし さんのコメント...

へえ〜、そうなんだ。
純粋によろこべないわけね。