2009年5月6日水曜日
ぽけっとする時間
今日はゴールデンウイーク最後の日。あいにくの雨。こんな日は窓から見える高尾のお山の緑を眺めながらおいしいコーヒーを飲むに限る。
ひゃー、さいこー。
すると、とつぜん自己嫌悪虫がさわぎはじめる。
「つくしちゃん、あなたなにやってんのよ。こんなときこそ絵を描いて描いて描きまくらないでどーするのよ」と。私はコーヒーを飲みながら「ああ、こんなことやってちゃいけないんだ」と、どぎまぎする。おっと、またひっかかるところだった。
昔、ある有名なイラストレーターさんがおっしゃった。
「とにかく、描いて描いて描きまくるんだ!描きまくって手が覚える。それがすばらしい作品になるんだ!」と。
かっぺのわたしは、
「そうか。描いて描いて描きまくらなきゃいけないんだ!」と思い込む。でも、もともと描いて描いて描きまくるタイプの人間ではなかったらしい。どうやっても描きまくれない。いつのまにか、鼻くそほじくって、あくびをしている。なのにその有名なイラストレーターさんがおっしゃるのだから、描かなきゃいけないんだと強迫観念のように思い続けた。
よく考えたら、描きまくっていないのに、ここまで来れた私がいる。ちゃんとおまんまを食っているではないか。あの話を聞いたのははるか昔の話。なのに呪いのようにあの言葉がしみ込んでいたのだ。
絵描きさんやイラストレーターさんたちで「描かずにはいられない!」という人たちを見かけるが、私は描かなくてもいいよと言われれば、いつまでーも描かずにいられるタイプらしい。お茶と和菓子があればそれだけでしあわせらしい。そろそろ自分の性質を知った方がいい。自分の特徴をそのまま受け入れようと思う。
人はそれぞれ違うのだ。じつはその人は、描いて描いて描きまくることがことのほか好きだったり、快感だったりしたのかもしれない。ただそれだけのことだったのかもしれない。そう思ってしまうのは、彼の最近の作品は、あまりいいとは思えないのだもの。昔のは良かったなあ。
日本人の習慣の中で、「一所懸命やる」「必死でやる」「無我夢中でやる」という事が美徳とされるところがある。私が彼の言葉に強烈に引きつけられたのも、そういう日本人気質の下地があったからにちがいない。
それが出来ない人もいるのだ(ここに)。でも出来なくってもなぜかおまんまを食べていけたりするのだ。宇宙は寛大だー。
人は無意識のうちに、「ああでなければいけない、こうでなければいけない」となにかしらの法則を作ってしまい、それを元に自分をいじめてみたり、他人をいじめてみたりするんではなかろうか。勝手に呪縛の中に入っている。それが自分を不自由にする。自由とは自分が自分から解放される事なのかもしれない。
そう思い直してみると、コーヒーがことのほかおいしくなった。
絵:ECC教材絵本「梨の木」より
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4 件のコメント:
会社という組織に属していると、
「走り続けなくては!」と「みんな頑張
ってっから、おいら休ませて貰お・・」
がビミョーに混じり合います。
どっちがいいんだか・・・。
わかるー。ココロは行ったり来たりするよね。
川の片方の岸にぶつかっちゃあ、また反対側の対岸にぶつかるみたいなかんじ。あっちこっちとふりまわされて、ジグザグに流れていく...。
ホントはまん中をすーっと流れていくのがいいんだろうね。こーゆーのを中庸というらしい。
たぶんどっちにもつかない第三の位置に自分を置くのがいいんだろうね。
そうはいっても、なかなかまん中は歩けないんだけど。これ、相当の意志力がいるよなあ...。
なにはともあれ、ここの自然には癒されます。雨の日、ぼっーっと窓の外の緑を眺めるのもいいんじゃないでしょうか。
それがまた明日の力。
最近、この世は必死こいて働かなきゃいけないとおもいこまされているだけなんじゃないか?と勘ぐっています。
ぼーっは大事ですよ、ぼーっは。
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