2009年5月3日日曜日

草はぬくのか?




畑の草を引き抜きながらふと思う。

これとこれは草で、これとこれは野菜。これは引き抜かないといけないけど、この小松菜は引き抜いちゃいけない、と。

じゃ、なんで引き抜くやつと引き抜かないやつがあるかと言うと、草が生えていると、野菜に行くはずの土の中の栄養を取ってしまうから。


5、6年放置した畑は栄養がないと言う。(人によっては、それのほうが栄養があると言う)でも栄養がないという前提だから、堆肥や石灰や肥料を混ぜ込む。このところ雨が降っていないので、土はからからに乾いている。風がビユ〜と吹く。草一本ない土は軽く、風に舞って目の前が砂嵐になる。目にも入るし、鼻の穴は真っ黒。

ここは砂漠か?
一瞬そんなイメージが頭の中をよぎる。畑のまわりの木々や草はまぶしいほど若葉が茂っている。でもわが畑は、関東ローム層の赤茶けた色の砂漠。その砂漠の中に、小松菜の緑の道ができる。一本、二本、三本....。その間に草が生える。それを引きぬく。

草は悪。草は敵。虫も悪、そして敵。なぜならここには、優先順位というものがあるから。


その有機農法の畑の片隅には草ぼうぼうのエリアが。その野菜のやの字もなさそうな場所で、とうもろこしの芽を見つけたときは感動した。

ずいぶん前に、私がわけがわからないまま、草を10センチ四方くらいむしって、そのまん中に植えてみた種たちだった。目を皿のようにして草の間に何かの変化をさがす。すると、20センチの高さになった草たちの下に、肉厚の双葉が出ているのを発見する。

あれっ?ここには確かキュウリを植えたよなあ...。あっ!これはキュウリの双葉だ!

それからおもしろくなった。
ここらあたり枝豆........。あーっ!カマ持ち上げてる!
げ。おっきな双葉が。なんで?あっそうか、ズッキーニを植えたんだ!わあ、なんてでっかい双葉なんだ!


草の森におおわれて、小さな野菜の種たちは発芽していた。聞くところによると、双葉までは種からの栄養なのだそう。そこから先は、まわりの環境の栄養をもらいながら大きくなる。
そして今は、まわりの栄養をいただきながら、どんどん大きくなっている。



冒頭の草むしりについて思う。
草が栄養を取ってしまうことは、ほんとうなのだろうか。自然の世界は、人間が思うように弱肉強食の世界なのだろうか。
むしろ絶妙なバランスで、全ての生き物が共存する知恵をもって生きているんだとしたら?

野菜ももとは草と同じ位置にいたに違いない。それがある時人間が食べて「こりゃ、うまいわい」と感じ、それを優先的に育て、改良していったものが、野菜なのだとおもう。それはそれでいいことだ。でも排除するものされるものが、こうもはっきりあらわれると、どこかでバランスを崩していくのではないだろうか。


そう思いはじめたのは、私の「勝手に石けんなし生活」がきっかけだった。

悪玉菌、善玉菌、ウイルス、...などと、いろんな名前を付けられ、「こいつは悪い菌」といいがかりをつけられる。それが存在するには、なにかしらのわけがあるのかもしれないのに、「撤去ーっ!」と除去される。

しかも除去するったって、「悪者」だけを除去するなんて高等な事は出来ないから、除去となれば、みんな一掃される。その結果、人間が外からのいろんなものに対処するために作られた叡智(いわゆる善玉菌の部類)までもがとりのぞかれる事になった。

日本人は、歴史始まって以来のこーんな食料の豊富な時代に、なぜこんなにまでのたくさんの種類の病気を抱える事になったのだろうか。人間とはそんなにヨワイ生き物なのだろうか。

菌が汚い、紫外線が怖い、雑草は生えてはいけない、歯は白くなくてはいけない、やせていなくてはいけない、....ありとあらゆるものを怖がり、排除し、予防する。
除去、排除、防御、優先順位.....。誰が決めたのか?
結局、人間が決めたのだ。

そのダメダメ尽くしの中で一体何が生まれるのだ?

私はその除去の一つをやめてみた。
歯磨き粉、石けん、シャンプー、リンス....。あれから一ヶ月半以上たつ。なくなって困るどころかむしろ調子がいい。人間のからだの微妙なバランスという偉大な叡智に、ただただビックリさせられる事だらけだ。菌はどうしよう?ウイルスはどうなるのだ?などと心配して心が小さくなるどころか、むしろ心がどんどん解放されていくのはなぜなのだろうか。

本当は何もしなくても、全ては宇宙のダイナミックな働きによって動かされているのだ。人間の浅知恵ではとてもじゃないが、計り知れる叡智ではないのだ。

野菜は私が育てるのではなく、野菜や、草たちや、土たちや、太陽や、風や、雨や、動物たちや、虫たちの意志の力によって、そしてそれぞれの同意の元で育っていくものなのかもしれない。

人間がえらそうに「これは私が作った作物だ」と言っているのを、彼らは微笑ましく見てくれているのかもしれない。


絵:エルザ表紙 イタリアの田舎道

4 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

んですね。
まあ、ぼちぼち行きましょ。
商売じゃないから・・・。
いろいろやったら、面白いですよね。

つくし さんのコメント...

おつかれさまです、ぱぱさま。

精神的にこない事を祈っています。

リス さんのコメント...

雑草でなくても、間引きってしますよね。あれって、大きく育つ可能性を持った子(芽)を摘むようで、最初はすごく抵抗ありました。でも、周りをすっきりさせてあげると、残った芽は、風通しがよくなって、元気をとりもどすのよね。
生態系は、人智を超えたところにあるのかなと思います。(もちろん、だからって何してもいいというわけでなく。)私たちの感覚を信じていきましょう!

つくし さんのコメント...

そうそう。あれはこうしなきゃ、それはああしなきゃ、と思わされているだけで、ホントは人間はなにかを元から知っているのかもしれない。
感覚信じていきましょう〜。