2009年5月30日土曜日
荒波の中の沈黙
ここんところ、ほぼ毎日何かしら心震わされることが起こる。それは生き物の死だったり、人間関係だったり、仕事だったり、自分自身の問題だったり。いや、何が起ころうと、すべては自分自身の問題なのだ。
ブログとは日記でありながら日記ではない。いざ何が起こったのか書こうとすると、手が止まる。自分の心の動きや何やかやを表に現そうとすると手が止まる。本当はそんなものなのかもしれない。言って楽になるものもあれば、言わないで静かに自己消化するものもある。
荒波の中で沈黙することによって、何か別のものが生まれてくる予感がする。
きのう長い付き合いの友達がウチに遊びにきた。彼もまたウルトラ級の台風のど真ん中にたたされている。不思議なやつで、あまり人がしないような体験を今までいっぱいしてきた。苦境にたたされると、なぜかうちにやって来る。自慢じゃないが、わしら夫婦は彼の人生のドラマをいっぱい知っている。ダンナと私のいいかげんなアドバイスを「そっすね。そっすね」と、聞いているのか聞いていないのかわからないが、合図ちをうつ。
でもきのうの彼はどこか違っていた。あんな荒波の中にいながら、心のどこかが静まり返っている。自分の置かれた境遇を、動物園の園長さんやチンパンジーのやりとり、がんの末期患者の手術などにたとえて笑い飛ばしている。まったく自分を外から引いて見ているのだ。「ああ、鳴門の渦に巻き込まれているなあ〜」と、ぐるぐる回らされている自分を淡々と観察している。そうでなければ、あんなふうに自分の境遇をおもしろおかしく話せるわけがない。
やがて彼は今の状態をみごとに乗り越えていくだろう。
心が振り回されるのは、きっと私や彼だけではないんだろうな。
心の沈黙は、この目に見える世界の外に広がっている、別の世界への入り口なのではないだろうか。黙る事によって膨らんでいく何かがあるんではないだろうか。いろんなヒントやインスピレーション、いいアイディアはそのほんのひと時の狭間にひそんでいる。それは静かな心にしないと聞こえない本当に小さな声。その声は実は宇宙に鳴り鳴り響いている巨大な大交響曲なのかもしれない。
自分の中で常に鳴りまくっているハードロックやベビメタのボリュームをぐわっと下げると、その奥に大宇宙のすごい音楽が鳴っているとしたら...。そしてそれはものすごいエネルギーや創造の塊だったとしたら...。
そんなことを考えて、最近は個人的なヘビメタロック(自己嫌悪菌ロックか?)を消そうとしている。
絵:オリジナル『コウモリ村のミステリー』
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