2009年5月17日日曜日
怒りの消去
朝起きたら、なんだかムカムカしていた。
昨日寝る前にダンナと口論になったことを思い出していた。しばらく口論になって、その後お互いが理解して終わった事になっていた。でも起きたらまだ根に持っている私がいる。しつこい。
「いやいや、もう終わったことだ。理解しあったじゃないか。もういいだろ、私」と自分に言い聞かせる。するとますますイライラしてくる。じっとしているともっと怒りが大きくなってくる。困ったなあ。この怒りをどうすりゃいいんだ?
そこである人が言っていた方法を応用してみた。痛みというものは、その痛みを全身で感じていると消えていくという。痛みとは観念である。感情を交えずに、ただ痛みをジッと観察していろ。すると勝手に消えていくものだと。
ほんとかよ?でもまあ、やってみるか。
そこで私は、そのダンナとの会話で作ってしまった怒りをじっと感じるままにした。ふつふつ、ぶつぶつ、イライラ、このやろー!心の中でバンバン広がるままにさせた。ホントはなんてことのない内容だったのだ。ちょっと私がしゃべったことに対して、それは違うだろ、と言われたことだけだったのだ。ちょっぴしプライドが傷ついちゃっただけのこと。なのに、そんなちっこいことに反応する自分を否定すればするほど、内側のモンスターが、「そりゃー、ちげーよ!!!」と猛烈に反発しはじめるのだ。
そういう感情を観察しながら、「あたしって、ちーせーなー」と、思う。そう思った瞬間、「あ、これも『解釈』と言う感情だ」と気がついた。
人は、普通こうだろうとか、そりゃ常識だろうなどと『解釈』をする。これは感情を交えずに観察することとは違う。怒りを観察しながら、解釈という感情をともなってしまっていた。(ややこしーなー)
それに気がついてやめたとたん、ぱたぱたぱたと、怒りが消えていきはじめたのだ....!それはまるで心の中にあった一枚のパズルの絵のパーツが一枚一枚はがれていくように。あっという間の出来事だった。それまで心にいっぱい充満していた怒りは跡形もなく消えてしまっていた。
こんなことってアリ?人の感情ってなんじゃらほい?
どうも「こんな感情ってダメだ!」と否定すればするほど、大きく膨らんでどつぼにはまり、ただその感情を肯定も否定もしないで観察すると消えるようだ。やっぱり痛みもそうなのかな?そういえば、先日母も頭痛を観察してたら消えたと言っていた。やっぱり感情を交えずに、痛みを見ていたらしい。痛みってなんじゃらほい?
痛みも怒りもそこにあるあるって思っているからあるのか?これが私の怒りだー!と握っているといつまでたってもそこにいるけど、はあ、これがその「怒り」ってやつですかと、じーっと観察だけしていると、怒りは「え?私、見られてんの?」と恥ずかしくなって消えていくとか?
なんだかいいかげんなやつだなー。
やっぱし、怒りも痛みもまぼろしなのかな。
絵:オリジナル絵本『ちかてつのおばけ』より
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
そおゆう風に消化できるってことは
大人。ってことですよ。
私にはまだ到達できていない領域です。
私だって、このあいだはじめてやって「ありゃ?」って思ったぐらいだす。えらそーなことはいえない。
でも一回でもそういう体験すると、おもろいで。
大人とか言うんではなくて、チャレンジですかね。何でも実験実験。自分の中にある隠された法則みたいなもんが垣間見える。
だまされたとおもって、やってみんちゃい。
コメントを投稿