2021年6月21日月曜日

これ、やばい。。。


 

ずっとクライアントの言葉にビクビクしてた。

「どう言われるんだろう」

「どんな反応が返ってくるんだろう?」


仕事が来ると、一瞬喜び、安堵し、

そして次に仕事へのプレッシャーがやってくる。

「うまく描かないと、仕事がポシャる」


ラフを上げるのに、四苦八苦。

ものすごいプレッシャーに押しつぶされそうになる。

プレッシャーは前からあったが、これほどではなかった。


ついに発狂寸前にまでなる。

猛烈な自己否定と未来への強烈な恐れで耐えられなくなった。

散歩の途中、電車がやってくる踏切に飛び込もうとする。

意志力で止めた。



これ、やばい。。。


心を見始めて三年が立つ。いつも自分の思考や感情をつぶさに観察している。

今では微細な心の変化にも気がつくようになった。

隠してきた恐れがどんどんあらわになってくる。

そうすると、感情も極端に感じるようになっていた。


しかし今回のこの出来事。ここまでひっぱくした状態になった。下手したら死ぬ。

自分がどれだけクライアントに怯えているのか、今、本当に見なければいけない時だった。





夜、静かになったとき、自分の心と対面する。


一体どんな信念が私の中にあり、それがこの恐れを作り出しているのか、聖霊とともに見よう。


お金。。。


最初にこの言葉が浮かんだ。


そうだ、私はクライアントにお金をもらって仕事をしている。

私の中に、お金をくれる人、お金をもらう人、という構図が見えた。


すると私はお金をくれる人が上、もらう人が下という上下をつけていることに気がつく。


豊かなお金を持っている王様が、「働け!」と言って、金銭をばらまく。

そこに隷属する私が重労働をしているシーンが。。。


ちょっと待って。

私は奴隷なのか!?

クライアントは王様で私は奴隷なのか!?


こんな信念が自分の中にあったことに驚いた。

そりゃあ必死になるだろう。奴隷は王様に必死でしがみつかないと、生きていけないのだから。




そしてそのなんとも言えない重苦しい気分、心が押しつぶされそうになる思いを味わいながら、

これを聖霊とともに見たい、聖霊ならどう見るのですか?と問うてみた。


対等。。。。


「対等。。。。?」


確かに私は、クライアントが上で、私が下と考えている。対等ではない。

では対等ってどういう意味なのだろう?


愛。。。


「愛。。ですか?」


そうか。私は本の表紙の絵を描くという、愛を表現している。

愛で描かないと、その本の魅力は伝えられない。


でもお金をもらうということは上下の関係で。。。

と思った時、

「お金もひょっとしたら愛の表現なのではないか?」と気づく。


私が愛をもって絵を描く。

それにクライアントは「ありがとう」という感謝の気持ちを伝える。

だけど気持ちだけじゃまだ表現しきれないなあと、お金という形を表現しているのだ。


私が愛でもって絵を描く。

クライアントは愛をお金で現す。


二人はまったく対等だ!

どっちも愛の交流をしているんだ。。!


そう気がついた時、私はとてつもない自由を感じた。


上下の関係を感じていた時、何かコントロールされるような感覚だった。

上にいるものが、下にいるものをコントロールし、

下にいるものはコントロールされる気分になる。


だから苦しかったんだ。。。!


私たちはお金を払う側も、もらう側もまったく対等だった。




「お客様は神様です」

という言葉は、お金を払ってくれる人に敬意を払うものであるが、


無意識に払ってくれる人の方が上。。。。と思ってしまう傾向がないだろうか。

それが「神様」という言葉に現れている。

神様だから邪険にはできないと。。。自分は平民だから下だと。。。

自分で自分を下にしていないだろうか。


だけどお金を払うには払うなりの、価値があるってことだ。


「この愛の表現に、私はお金という愛の表現でもって、感謝の意を表します!」

って言ってるのだもの、それはまさに互いが対等な関係だ。

だから本当は「お客様も私たちも神様です」なんだろうな。


この夜の気づきは、私に大きな考え方の変化をもたらしてくれた。


私の中に自由な心が芽生えた。

クライアントは私の愛の表現を待っている!と。

ワクワクすることじゃない?私から出てくる愛を待ってくれているんだもの。


クライアントからもらったありがたい仕事に、私は嬉々としてラフを出した。



3点のラフを提出した数日後、

あの気づきの後の、愛を込めたラフのアイディアが採用された。















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