2021年6月12日土曜日

何にヤられているのか。

 


何にヤられるって、自分にヤられるんだ。


「自分の中に、監視する誰かがいて、いつも私に指図するの。。。」

一緒に散歩しながら彼女は言った。


「それ、脅してくるんでしょ。ボーッとしてるな!何にもしてないと、ろくな目に合わんぞ!とか」

「そうそう!バチが当たるとかね!」

「わかる~~w」


「そもそもさあ、そのバチを当てる神様って、どうなん?

そんな了見の狭い神様って、本当の神様かなあ。。。神様ってそんなもん?」

「いや~。違うと思う。。。神様は何でも受け入れてくれる優しい存在じゃないかなあ。。」


私たちは、神様ってすごく優しい存在だと信じながらも、

自分が何もしていないと、いきなりバチを当ててくる存在にする(笑)。


私たちの中に、トコトン優しい神様と、怒る神様を二つ持っている。

トコトン優しい神様は怒るだろうか。


トコトンやさしいから、怒る?

いやいや。トコトン優しいなら、怒るはずがない。


この言葉は矛盾している。半分妊娠している、みたいな。




怒る神様なら、時には優しくなだめすかして、私たちをコントロールするだろう。

なぜなら怒るのは、その神様の意に反したことをすることが気に入らないからだ。


神の意に反したことをさせない、つまりコントロールするためには、

なだめすかしたり、褒めちぎったり、脅したり、不安にさせたりしながら、

自分の持っていきたい方向に持っていくだろう。


でもトコトン優しい神様なら、怒ることなどするはずがない。

なぜならコントロールするという考えさえも浮かばないからだ。

ひたすら私たちを愛してくださる。


たとえ間違った方向に行っても、それを力づくで正しい方向に持っていくためにさとすのではなく、自分がその間違いに気がつくまで、陰ながらありとあらゆる方法で、優しく手を差し伸べるだろう。



私たちがバチを当てる神様を作ったのではないだろうか。

神様ではなく、エンマ様。


そのエンマ様はいつでも裁く、批判する、脅す、懲らしめる。自分で自分を見張るために。

それは自分が「自分を見張ってないと間違ったことするぞ」って信じているから。

だからそんな監視人を自分に与えた。


でも頭の中にいるだけの存在。頭の中でいつも囁くだけなのだ。

その声を聞くたびに、私たちは震え上がる。


「おーっと!ヤバイよヤバイよ。

ぼーっとしてる場合じゃないよ。

遊んでいる場合じゃないよ。

なんかやらなきゃ!なんかもっと建設的な何かを!」

そうして日々何かに追い立てられるように忙しく走り回る。


エンマ様にバチを当てられないように。


私たちはその、自分の中で聞こえる声に、ヤられているのだ。


続く。



絵/新書表紙イラスト 「途方にくれる働くアリ」

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