何にヤられるって、自分にヤられるんだ。
「自分の中に、監視する誰かがいて、いつも私に指図するの。。。」
一緒に散歩しながら彼女は言った。
「それ、脅してくるんでしょ。ボーッとしてるな!何にもしてないと、ろくな目に合わんぞ!とか」
「そうそう!バチが当たるとかね!」
「わかる~~w」
「そもそもさあ、そのバチを当てる神様って、どうなん?
そんな了見の狭い神様って、本当の神様かなあ。。。神様ってそんなもん?」
「いや~。違うと思う。。。神様は何でも受け入れてくれる優しい存在じゃないかなあ。。」
私たちは、神様ってすごく優しい存在だと信じながらも、
自分が何もしていないと、いきなりバチを当ててくる存在にする(笑)。
私たちの中に、トコトン優しい神様と、怒る神様を二つ持っている。
トコトン優しい神様は怒るだろうか。
トコトンやさしいから、怒る?
いやいや。トコトン優しいなら、怒るはずがない。
この言葉は矛盾している。半分妊娠している、みたいな。
怒る神様なら、時には優しくなだめすかして、私たちをコントロールするだろう。
なぜなら怒るのは、その神様の意に反したことをすることが気に入らないからだ。
神の意に反したことをさせない、つまりコントロールするためには、
なだめすかしたり、褒めちぎったり、脅したり、不安にさせたりしながら、
自分の持っていきたい方向に持っていくだろう。
でもトコトン優しい神様なら、怒ることなどするはずがない。
なぜならコントロールするという考えさえも浮かばないからだ。
ひたすら私たちを愛してくださる。
たとえ間違った方向に行っても、それを力づくで正しい方向に持っていくためにさとすのではなく、自分がその間違いに気がつくまで、陰ながらありとあらゆる方法で、優しく手を差し伸べるだろう。
私たちがバチを当てる神様を作ったのではないだろうか。
神様ではなく、エンマ様。
そのエンマ様はいつでも裁く、批判する、脅す、懲らしめる。自分で自分を見張るために。
それは自分が「自分を見張ってないと間違ったことするぞ」って信じているから。
だからそんな監視人を自分に与えた。
でも頭の中にいるだけの存在。頭の中でいつも囁くだけなのだ。
その声を聞くたびに、私たちは震え上がる。
「おーっと!ヤバイよヤバイよ。
ぼーっとしてる場合じゃないよ。
遊んでいる場合じゃないよ。
なんかやらなきゃ!なんかもっと建設的な何かを!」
そうして日々何かに追い立てられるように忙しく走り回る。
エンマ様にバチを当てられないように。
私たちはその、自分の中で聞こえる声に、ヤられているのだ。
続く。
絵/新書表紙イラスト 「途方にくれる働くアリ」
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