2013年7月30日火曜日

否定は自己実感





食い過ぎた。。。
最近太りすぎだ。。。
あれ、やらないと。。。

心の中は否定でいっぱいだ。
別に食い過ぎてもいいじゃないか。太っててもいいじゃないか。ほんとにそれをやらないといけないのか?
すると心は言うのだ。
そうしないと病気になる。そうしないと路頭に迷う。

自己は、自我は、エゴは、否定をエサに生きる。

否定してると、自分ってモノを実感できる。だめだだめだっていっている瞬間は、自分という存在がここにいる!と、実感する。
他人を意識した瞬間、自分を意識する。「あいつは敵だ」とおもった瞬間、強く自分を意識する。

自我はそうやって生きる。

ああ、お天気がいいなあ~。
風が気持ちいいなあ~。
いい人だなあ~。

こんな時、自我が消えている。
ふわ~っと自分が膨張して、まわりの空気に溶け込んでいく。

否定によって自我が自分を実感する時、固形化している。
自分と他人、というふうに別々に存在する。

だが肯定する時、自分がまわりに溶けていく。
自分と他人という区別があいまいになる。
そのとき、なんともいえないやすらぎがある。


が、自我があせる。
「じっ、、じぶんが存在できないっ!」
すると自我はじぶんをまた出現(?)させるために、否定する行為を呼び起こさせるのだ。

いったいだれに?
自我は誰に向かってやっているのだ?
「。。。。」に。

私たちは自我が自分だとおもっている。思考する心が自分だとおもっている。

だけどその大騒ぎする心の中のことばを、「誰か」が聞いていないか?
いつもどこかで必ず、何か、がいないか?

自我は大騒ぎする子供のようなものだ。
「やだーっ!それ、やだーっ!、これもやだーっ!ぜーんぶ、やだあーっ!」

私たちは、自我をじぶんだとおもっている。自我がいうことはまちがいないとおもっている。だから言うまま、そのまま聞く。自我の言うことを疑うことがない。


だだをこねる子供の言うことを親は全部聞くか?
ああ、これやなのね。ああ、それもやなのね。
ああ、、もう、、いったいどーしたらいいのっ!
子の言うことを全部聞く親は、ふりまわされて混乱する。

自我の言うことを全部聞くと、ふりまわされて混乱する。

否定すると自我が立ち上がる。それは自分にむけているときも、他人にむけているときも。
否定は自己実感である。
「危機感をもとう」
「あなた、それまちがっていますよ」
そんなキャッチコピーを聞いた瞬間、「カチッ」と個が固まる。自我が出現する。

すると自分と他人、敵と味方、善と悪、正しいまちがっている、という二極思考にはいる。
自我は二極思考をほしがる。この世に個として生きているという実感が湧いてくる。

反対する人たちは生き生きとしている。
人の悪口はワクワクする。
ゴシップネタはたのしい。

「これがだめだ、あれがただしい」
と言ってる時間は自分が立ち上がる。
そのとき個が別々になる。区別が生まれる。あっちとこっちにわかれる。
否定するとたのしい、けどくるしい。だけどそれが実感をえる。生きてるんだって。自我が喜ぶんだ。


さて、その自我は本当の自分なのだろうか。


絵:「漫画FBI式しぐさの心理学」MF新書表紙イラスト
ニンゲンはしぐさによって心の中をあらわにしている!あなたの心はバレバレ?



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