一所懸命働く。
一所懸命働くと、「すごいわねえ」とほめてもらえる。
一所懸命働くと、お金が入る。
一所懸命働くと、ケッコンできる。
○○すると、いいことがある。
という方程式になっている。
すると、
だらだら働くと、「あいつ、なにやってんだよ」とほめられない。
だらだら働くと、お金が入らない。
だらだら働くと、ケッコンできない。
○○しないと、わるいことがある。
というふうに、反対の方程式も自動的に作っている。
こうしたら、こうなるから、こうする。
じゃあ、こうしないと、こうなってしまうから、こうしない。
わけありの行動には、いちいちに条件がくっついてくる。
一所懸命はたらくと、いいことがある。
だらだらやると、わるいことがある。
だ、か、ら、一所懸命やる。
この場合、一所懸命やるのは、悪いことが起こってほしくないため。
つまり恐怖による自分への強制だな。
これって、ただたのしいから働くのとはえらいちがいだよな。
この場合、一所懸命やるのは、悪いことが起こってほしくないため。
つまり恐怖による自分への強制だな。
これって、ただたのしいから働くのとはえらいちがいだよな。
だけど人って、そういつも一所懸命できない。たまにはだらけてしまうし、よそ見もする。
すると、頭の中でだれかがこういうんだ。
「あー。なまけている。なまけていると、わるいことがおこるぞ」
そのことばにあせって、
「いけないいけない」と一所懸命やる。
だけど必死にやらなければならないとおもえばおもうほど、カラダがどんどん疲れてくる。
「おまえ、そんなことでどーする!」
頭の中で誰かがお尻をひっぱたく。
「わかってるよ、そんなことわかってるよ。だけど、だけど、もうカラダがついていかないんだ。。。!」
「わかっているだろうな。そんなふうだと、お前の未来は。。。」
「もう、やめてくれ!わかっちゃいるさ!だけど、もう限界なんだ!!」
頭の中の誰かに対して罪悪感を抱えながら、日々くるしさの中で生きる。
頭の中のことばに耳を貸さないヤツもいる。
「あー、なまけている。なまけていると、わるいことがおこるぞ」
「それはどういう理由で?」
「なまけていると、ろくな人生にならないってことさ」
「ろくな人生にならないって?」
「ケッコンできなくなったり、お金がなくなって、路頭に迷ったりすることさ」
「ほー。なまけていると、路頭に迷うのかい?じゃ、なまける=路頭に迷うってことなのかい?」
「そうさ、きまってるじゃないか」
「だれがきめたの?」
「だれがって、どこかのお偉いさんだ」
「ふーん。お偉いさんの言うことは、その通りになるんだ」
「そうさ。その通り」
「だれがきめたの?」
「だれがって、。。。どこかのお偉いさんの、。。。そのまたお偉いさんにだ」
「そうか。言った通りになるんだ」
「そうさ。言った通りになるんだ」
「じゃ、言った通り、なんだな」
「そうさ。言った通りさ」
「じゃ、なまけてたら、いいことがおこる」
「そう。なまけてたら、いいことが。。。なっ、なにいーッ!」
「だって、言った通りになるんだったら、好きに言えばいいんだよ」
「お、おまえなあ。。。だいたいお前はどこかのお偉いさんなのか」
「どこの誰かわからないお偉いさんから、ぼくの人生を決められる筋合いはないとおもうよ」
「お偉いさんだから決められるのだ!」
「え~~、そのお偉いさんだって、そのまたお偉いさんから決められたんだろ?言った通りになるんだったら、自分で言っちゃってきめちゃった方が早いじゃん」
「。。なんだ。。そのへりくつ。。。」
「だからぼくはこれでいい。なまけていると悪いことがおこるっておもってるからおこるんだったら、おもっていることを修正するよ。
なまけていたら、いいことがおこる!」
なまけていたら、いいことがおこる!」
「えーかげんにしなっさーい!」
「どーもーっ」
頭の中の声ってなんなんだろね。
そいつが言ってることばって、判で押したみたいに常識的だし、おもしろくないし、だいたい自分を否定することばばっかししか言わない。そんでもってそれをまともに聞いていたら、ただただくるしくなる一方。
こいつって本当に自分の味方?
言われなくってもわかってることばっかり言ってくるよね。
そいつが言ってることばって、判で押したみたいに常識的だし、おもしろくないし、だいたい自分を否定することばばっかししか言わない。そんでもってそれをまともに聞いていたら、ただただくるしくなる一方。
こいつって本当に自分の味方?
言われなくってもわかってることばっかり言ってくるよね。
とどのつまり、自分の思考で自分にたがをはめているだけなんじゃないかあ?
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