2010年6月29日火曜日

人間草刈り機




ずーっと机に張り付いて、仕事のアイディアの妄想に惹けっていると(イラストレーターはみんな机で妄想するんだと思うんだが)、だんだん煮詰まって来る。
んで、気分転換に「はったけ〜!」と、長靴はいて喜び勇んでいくのもつかの間、
「げ。いつのまにこんなに?」
昨日よりも20センチも伸びている草ちゃんたちの勢いに圧倒される。
ピーマンちゃん、ナスちゃん、ゴーヤちゃんたちが草の勢いに押されてかくれてしまっている。「ごめんよ〜、ちょっくらからせてもらうぜよ」といいながら、刈り始めるとだんだんムキになって来る。そのうち、
「おっりゃあ〜〜〜〜っ、大量殺戮開始ーっ!」
と、さっきまでイラストレーターだった物体は人間草刈り機に変身する。
仕事そっちのけで草刈りに集中。へべれけになって家路につく。と言う日課を繰り返している今日この頃、みなさまはいかがおすごしでしょうか(って、ちがうだろ)。

自然農は最初の2、3年まで草の勢いに押されると言う話だが、じっさい味わってみると、「くっ。。。。。」ってなかんじである。野菜ちゃんは遅々としておっきく育たず、思わず
「ちょ、ちょこっとだけなら、ひ、肥料を入れても。。。。」
という誘惑にかられてしまうのだ。
「あ”〜〜〜〜っ、イケナイイケナイ!」
と、あたまをかきむしる。

たぶんまわりの畑もみんなこんな思いだったに違いない。化学肥料や有機肥料を入れて大きく育ったあの快感。あの快感が忘れられず、また入れてしまうのだろう。だがやがてその肥料もその土地には満杯になり、だんだん効かなくなって来る。するともう少し強い肥料を入れてみる。するとまた再び大きく育ってくれる。だがそれと一緒に草も大きくなるわ、虫も大量にやってくるわで薬を撒く。でもやがてそれも効かなくなると、もっと強い薬を。。。。。
まるで一種の中毒のように見えてくるのだ。これはほとんど農家の薬中。。。?

まわりの畑の野菜の足下には、みんな白いつぶつぶがふりまいてある。巨大なキュウリの葉っぱは虫一匹寄り付かない。(な、なんでだろう。。。)私が
「野菜がなかなか育たなくて。。」と言うと、おじさんは
「肥料で大きくなるよ」
と、にや~っと笑って教えてくれる。ありがたいお言葉だが、どこかで
「こっちにおいで~」とさそわれているようでこわかった。



直感は突然やってきた。
ちいさなピーマンの苗を畝の中に植えていたときだった。これもこの地に吸い取られていくのかな。。?と考えたとき、どきっとした。
これはほんとうのことなのかもしれないと。
私は立ち上がって畑をぐるっと見渡した。この地は今、エネルギーを吸収している。。。そう感じたのだ。

アブラナ科の植物は、双葉になった後、虫さんに食べられエネルギーを与え、そして他の野菜もまた地の朽ちて、そのエネルギーを吸収させる。つまりこの畑は今すべての野菜の存在を飲み込んで、そのパターンを、あるいはDNAを読み込み、来るべき姿の畑に変換するための準備をしているのではないのか?畑全体を見渡しながら、今この地に、確かにエネルギーがどんどん蓄えられているのだと、眼で見るのでなく、私の存在のどこかが感じ取っていたのだ。言葉にはできないふるえるような確信だった。

畑のことは畑さんに、野菜のことは野菜さんに、自然のことは自然さんにまかせたらいいのだ。すべてはなるようになっていく。仕事もしかり。人生もしかり。



絵:ペットボトルのお茶のためのキャラクター案

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

そう、なるように任せて自然体で生きるのが
イッチバン!って、生きてければいいんですが
ついその辺りに、煩悩が・・・。

畑のことをまかせっきりの我が家には、何も
言う口はありませんでした・・・orz

つくし さんのコメント...

任せきれないのがニンゲンのサガっちゅうもんでしょうか。エゴっちゅうもんでしょか。
思わず肥料入れちゃう。。。

ところで、そろそろ麦の「手脱穀」開始ですよ〜。覚悟しててよ〜。