2010年6月4日金曜日
みんな同じ
配達に来たお米屋さんが言っていた。
「このへんは、みんな峰尾さんだからこまっちゃうんですよね~」
たしかにこのあたりは、もののみごとに峰尾さんだらけだ。配達するにもどの峰尾だか分らなくなると言う。でも同じ名字だからみんな親戚というわけではないらしい。ほとんどアカの他人。だからそれぞれが屋号で呼び合うか、いいじっちゃんばあちゃんが、ひでちゃん、せっちゃん、と、みんなちゃんづけで小さい頃呼び合ったままでお互いを呼んでいる。それはそれで微笑ましいので私は大好きだ。
ここらあたりは土地も広くないので農家をやる人は少ない。ひでちゃんもこーちゃんも、みんなお仕事は外に出かける。よく調べてみると、ほとんどの人が公務員や銀行などお堅い仕事をやっている。その他は土木の仕事。あきんどという人はほとんどいない。どうもここら辺の土地の気質なんではないかとおもう。
近所の人がよく言う言葉に「めだたないように、めだたないように」というのがある。目立たないようにと言いながら、結果的に「あんた、しっかり目立ってんじゃん」という人もいる。しかし基本はみなと同じでめだたないように楚々と生きる。ということがモットーらしい。ほら、それがその名字に現れている。みんな峰尾さんなのだ。
「オラ、今度名字をもらう事になったが、峰尾っちゅう名字ににするど」
と誰かが言うと、
「おお、おらもそうするべ」
「おらも」
「おらもだ」
となった。(ホントか?)基本、目立ってはいけないのだ。だから公務員や銀行員やサラリーマンになりやすいのかもしれん。
これが商人の町となるとがぜんちがう。
「おら、峰尾にするど」
「おうそうか。お前が峰尾なら、おら、平岡だ」
「おら、海田だ!」
とてんでばらばら。元々同じだと、商売にならない。
「おら、傘作って売るだ」
「おお、おらもそうするべ」
「おらもだ!」
となると、傘が売れない。それぞれが切磋琢磨をして人が足を踏み入れていない商いや、技術を磨く。だから商人の街は活気があるのかもしれない。そしてそこに文化が広がっていく。
ここ高尾に住んで、どーにもこーにも何かが足りなく思うのは、その文化である。この土地には、切磋琢磨しておのれを磨いてきわめて行くと言う性質は持ち合わせていないようだ。その証拠に、世界で一番登山客がくる高尾山(年間250万人だと!)の登山口のあの商店街のやる気のなさ。一個目立ったお店があるが、相当苦労があったらしい。みんな誰かが抜きん出るんではないかと、戦々恐々としているようだ。そんなもんだから、高尾名物といえば、高尾せんべいぐらい。正直言ってこれを買って「高尾のお土産買って来たよ!」と自慢できない。一度話のタネに買っただけであとはもう頭にも浮かばない。浮かぶとしたら、ギャグとして(?)。
そんな愚痴を言うと「何を言う!偉大な高尾山があるじゃないか!」
とおこられそうであるが、
「高尾山は最初っからあるだろうが!」
と突っ込んでやろう。
でもま、ここまで繁栄したのは、何をかくそう京王グループの作戦勝ちなんだろうけどね。
それにしても高尾山は入り口は広くて誰でも入りやすく、そしていったん極めれば、底知れない深さがある不思議なお山なのである。そんな偉大なお山の麓に住むと、個人がどうのこうのというちっこいレベルでの切磋琢磨はどうでもよくなって、誰でもみんな同じになっちゃうのかもしれん。(そんな結論なのかい)
絵:カットイラスト/アンジェリカ
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2 件のコメント:
高尾山・・山頂のつまらなさ、感激のなさっちゃ、無いですよね。
すごい事は求めちゃいないけれど、あれはさすがに無いって思います。
確かに峰尾さん(川村さんも)、多いっすね。
私の母の実家の周りは皆さん小林さんです。お互いの呼び方は「おはやし」「本家」「とこや」とかで、これは住んでる場所だったり、立場だったり、職業だったりします。
峰尾さんもきっとそんなニックネームがあるんじゃないですか?
近所のコーヒー屋さんの名前も、アレ屋号なんですよ。
「モトジメさん」というところもある。何でも最終的には何か問題があってもそこがうまくまとめてくれるそうで。なかなか意味深いですよね。ぱぱさんのまわりにも面白い屋号持っているお宅あるんじゃないかな。
山頂、つまんなくっても、なぜかみんな高尾登っちゃう。何の魅了なんでしょうかねえ。
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