2010年2月12日金曜日
おしゃべり、とめますか?
べつに心の中がおしゃべりすることが悪いことではない。その心の仕組みを知ると、その言葉にあおられてドタバタしている自分に気がつく事が大事なのだ。しかもそのドタバタはちっとも意味がなく、ドタバタしようがしまいが、問題の解決にもならず、むしろその解決から「あ~れ~」って、遠ざかる役割をするとすれば、おしゃべりに気がつくことは、無駄じゃないでしょ?
頭の中のおしゃべりは、ものごとをなんでもかんでも大それたことに感じてしまう肥料を与えてしまうのだ。ちっこい問題でも、おしゃべりという化学肥料をかけると、うりゃあ~って、巨大な問題にまで急激に成長してくれるのだ。野菜なら食っちゃえばすむけど、大きな問題にしちゃうと、自分で自分につぶされかねないからね。
傷ついたり、ムカついたり、キレたり、ひきこもったりするのは、ひとえにこのおしゃべりがバクソウしているものと思われる。
誰かに何気なくいわれた言葉にひっかかって、その言葉を繰り返し頭の中で反芻し、
「あのやろ、あんなこといいやがった。ああ、そう言えば、この間もこんなこといわれた。あっ、あんなことも俺様にしやがった。あいつは俺のこと苦しめてややろうと思っているに違いない。ああそうだ、きっとそうだ。あのいつもへらへらしているあの顔は、ひょっとしたらいつも心の中で俺のことバカにしているのかもしれねえ。俺のことをなめていやがるんだ。許せねえ。俺だって黙ってるわけじゃないぞ。今に見てろ、あいつをぎゃふんと言わせてやる。ぶっころしてやる!」とまで発展させる要素を持っている。
その友だちは「おもち、食べる?」って聞いただけかもしれないのに。
おしゃべりの種類は人それぞれまったく違う。私は自分の失敗ばかりを追いかけて反芻してバタバタしている。ある人は、人の悪いところばかりを見ている。あいつのあそこが悪いここがよくないと、色々見つけてはそれを何度も反芻していつもおこっている。またある人は「あたしってすごい」ということばかりをみつけて悦に入る人もいる。
そうやって心の中でおしゃべりをすることを、じつは人は楽しんでいるということなのだ。これは意識もしない間に行われている。人生を苦悩する行為をまさか楽しんでやっているとは誰も思わないだろう。でもそのことに気がつくということが大事なのだ。
もちろん「あたしってすごい」っていうことを見つけるのは楽しいに決まっている。だが自分の失敗をわざわざ見つけるのはつらいことのように思うが、よくよく自分の心理を追っかけてみると、実はそうすることによって楽しんでいる自分に気がつくのだ。自分を嫌悪して監視することで、いい人間であるような気がして安心をする。「ここまで監視しているから、まだだいじょーぶ」と。
社会のことをいつも怒っている人だってそうだ。人の悪いところを探してはムカついている人もそうだ。怒りながら、自分をいつのまにか高みに置くことが出来る。悲しい出来事を見つけては人生を憂いている人だってそうだ。自己憐憫して自分をかわいがることが出来る。この世が怖いと引きこもっている人もそうだ。引きこもれる理由が大義名分によって作られる。
おしゃべりは思考の習慣性であり、心の陶酔なのだ。だがその陶酔によって、知らない間に自分自身の身体を重くしたり、やる気をなくさせたり、あるいはつぶしてしまっているかもしれないのだ。
絵:「モンスター列伝」/井深大
登録:
コメントの投稿 (Atom)
6 件のコメント:
東海林さだおの”ドーダ理論”ですな。
自分でも、思わず少しやってしまう行動です。
まぁ、ある意味普通の代償行為なので、大目にやっておくんなまし。小市民的には、通常の行動です。いいか悪いかはおいといて・・。
「ドーダ理論」って知らなかった。
ちょっと調べてみたんだけど、人は自分自慢をしたいということ?
そりゃ、あたり。私だって、ブログやってドーダ、えらいだろ!ってやっている。絵を描くのだって、ドーダ、絵が描けるぜ!と自慢している。特にゲージツ家ほど、ドーダが頭の中を渦巻いているヤツはいない(笑)。
つまり頭ん中はドーダで、陶酔しているんですね。
おしえてくれてありがと、ぱぱさん。
「ブログやってドーダ、えらいだろ!ってやっている」
あ、それ、初心者のドーダ。です。
ベテランのドーダは、「いやいや、まいっちゃったよ・・。ほら俺、今、ブログやってんじゃん?いやいや仕事3本も抱えてっからさぁ、キビシイのよ。睡眠時間3時間よ。いや、コメント止めりゃぁいいんだけどね。なんか期待されちゃってるとサ、止められないんだよね。ふぅ・・」
これが、ドーダです。
ぐふふふふ。。。。
見えないよ〜にやるってえのんが、ワザなのねん。
ベテランの極み、おみそれいたしました。
おひさしぶり
すんごい不思議なんだけど、つくしって頭使ってんだね。会ってるときはいいかんじのみたらし団子で、俺はご機嫌にいただくだけなんだけど。熱い渋茶も用意されてるしさ。
まあ俺も人のこと言えないか。
なんなんだろうね。頭使うって?
なんか久々に会いたいなあ。
武史の写真は見に行くよ。
ちょっと事故しちゃって体きついけど。
はっちい隊長、おひさ〜〜〜。
不思議って何や。やっぱり使ってないようにみえるだろ〜?あたり。
頭使うっちゅうのんは、実りのある場合に「使ってる」って言うんであって、わたしみたいに、意味もなくドタバタ頭が動いてるのは、使うとはいわないのだ。単なる頭のバクソウだあ〜〜。
思い出した頃に、私のみたらし団子食べに来てよん(なんかいやらしー言い方だなあ)
身体、早くよくなりますように。
コメントを投稿