2010年2月16日火曜日

脅される教え




「こうしなければ、こうなる」
という考えは、日本人の頭の中でぎっちりつまっている。

「がんばらなければ、試験に落ちる」「がんばらなければ、出世できない」「がんばらなければ、課長に怒られる」「がんばらばければ、仕事にありつけない」「がんばらなければ、病気になる」「がんばらなければ、病気が治らない」「がんばらなければ、女房にきらわれる」「がんばらなければ、子供にバカにされる」「がんばらなければ、まわりに白い目で見られる」「がんばらなければ、がんばれない」(なんじゃそりゃ)
もう、ほとんど強迫観念。「がんばらなければ、病気が治らない」って、病人が何をどうがんばるのじゃ。

これをずーーーーーっと、日本人はやってきている。
そこには、こうしなければ、あなたはとんでもないことになりますよという、条件づけがある。だから何か問題が起こると、「なにかしなければ!」と条件反射のように思ってしまうのだ。

最初に理想の「あるべき姿」があり、がんばらないとその理想の姿になれない。するとあなたは人生の落伍者になるのですよ。それでもいいのですか?
と、脅されているのだ。だれに?さあ。
でもそのあるべき姿は、成功して成功してそのまた先も成功して生きていき続けていかなければいけない、きょーれつにいばらの道なのだ。それはその万に一つの、いや億単位に一つの生き方を無理矢理強要するような教えだと思わないかい?誰もそんな離れ業できない。なのにそれを心のどこかで自分に強要しているのだ。

これではその理想の姿を(無意識に)心に置いて、それと今の自分を比べてしまい、悲観的になるのは当たり前だと思うなあ。
しかもその悲観的な心の状態でずっと居続けるのはむずかしい。だもんでその心のはけ口を人に向けたり、自分をいじめたり、はたまた自分のすごいところを見つけたりするのだ。で、ぶつぶつとおしゃべりがはじまり、ドーダ理論が炸裂し、その悦楽の中に埋没していく。。。。

たぶん、そのあるべき姿ばかりを追い求めるのは、自分の今現実の姿を見ることがコワいのだろうと推測する。自分の今の状況をちらっと横目で見ては、
「はっ!いけない、いけない。あんなものを見てはいけない。ああ、こうならなくちゃ、ああならなくちゃ。。。」とドタバタしているのがホントのところじゃなかろーか。

たしかにがんばってきたから、今の日本がある。それはまちがいないと思う。あっちの国、こっちの国の優れたところを見つけては、追いつけ追い越せでやって来た。けど気がついたら、いろんな意味で一等賞になっちゃっているのよ、日本。ところがビンボー癖が骨の髄までしみこんじゃっているのか、その現実に日本人自身が気がついていない。いつまでたっても遅れているとおもいこんでいる。でも理想の姿の国ってあるべき姿の国ってどこにあるの?みんないいところもあれば悪いところもある。
たぶん、その理想の国はここにあるんじゃないかなあ。もう目指すものは外にはないようにおもうのだ。それは国も、そして個人も。
あるべき姿を追い求めるのではなくて、あるがままの姿をまず見ることが必要だと思うんだな。これは結構勇気がいるぜ。


絵:「モンスター列伝」/児玉誉士夫(妖怪カネナメ)

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

全く、そうですねぇ。
と言ってる私も、どっぷり影響されてますけど・・。
だらっとして生きてもそれでいいじゃん!
って思いたいんですが、搾取されるのもちょっと、悔しいし・・・。

つくし さんのコメント...

だらっと生きてたら、搾取される。

これも脅されている教えだなあ〜(笑)。